Blog

ブログ更新情報


2024

’23引退ブログ #0_萩原直輝

日頃より日本体育大学男子ラクロス部の活動にご支援、ご声援をいただきありがとうございます。


1/14の全日本選手権大会A1をもちまして、'23シーズンが終了となりました。

毎リーグ戦、沢山の方々から熱い声援をいただきました。私たちだけでは作り上げることの出来なかった素晴らしいスタンドが、みなさまのおかげで実現出来たのだと強く実感しております。


あのスタンドこそが、この'23NITTAIの象徴であるとも言えるでしょう。


「HERO」を掲げ

日本一をひたすらに目指し続けた'23シーズン。


ここからはチームの主力として闘い続けてくれたかっこいいHERO達の最後のブログになります。

ぜひご覧ください。







日頃より日本体育大学男子ラクロス部の活動にご支援、ご声援をいただいております、保護者の皆様、OBOGの皆様、学校関係者の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。
今後とも、ご支援、ご声援の程宜しくお願い致します。


引退ブログのトップバッターは#0 萩原が書かせていただきます。


文章を書くのは苦手で、拙い文章になってしまいますが、4年間の振り返りを書きました。

最後まで読んで頂けると幸いです。



1年生の10月頃に入部した。

同期よりも入部するのが遅かったので、当たり前の様に差があり、防具が揃うまで一緒に練習ができず、壁当てをしていた。

自分は人見知りなので、積極的に声をかける事もできず、同期や当時の先輩方に教えて下さいとお願いする事もできない、さらに自主練もしないですぐに帰るので、一向に上手くならない。


すぐに辞めたいと思った。


さらに1年生の単独練も1ヶ月程して、すぐに全体練になったので、先輩方と行う事になり、知らない単語が飛び交うし、対人ではとにかくチェックを貰うので、ずっと痛いし、下手すぎたので、何も上手くいかず、練習中はいかにこの時間をやり過ごすかを考えるようになって、練習が終われば逃げるようにすぐに帰宅していた。そして朝練前の起床はとても憂鬱で、帰宅する事を真っ先に考え、電車の中ではいつ辞めようか考えていた。

本当にラクロスが嫌いだった。


この気持ちは2年生が終わるまでずっと思っていた事である。



この全くやる気がなかった気持ちから徐々に上手くなりたいと思ったきっかけが、2年生の時のBリーグ全学決勝である。



相手は関東決勝で負けている早稲田、戦力でもなかった自分はただボックスで試合を見る傍観者で、早稲田にまた負けてしまうのかなと試合前は思っていたが、試合が始まると終始日体ペースで、出ている選手達は負けた早稲田に対してやり返してやるという気持ちの強さ、そしてその中で活躍している同期や先輩方のプレーを見ていて、とにかくかっこいいと感じ、自分も少しでも近づけるように頑張りたいと感じた。


それと同じくらいの時期に壁当てのグループに招待されて、通話しながら壁当てをすることになり、壁当てが嫌いだった自分もみんなとたわいもない話をしながら行うのが、楽しく、壁当てを行う回数が増えていって、少しずつだがやっと上手くなっている気がしていた。

その際は誘ってくれてありがとう。



そして迎えた3年生、もちろん今までより少し自主練していても差を埋める事ができず、impact(Bチーム)スタート。


当時の自分は1年生、2年生で全く試合に出ていなかったので、impactで試合に出れれば良いやと目の前の現実から逃げるように言い聞かせ納得していたと思う。

さらに当時のAB分はウエイトの数値やアジリティの数値で振り分けられていて、最初に基準を満たしていなかったりんがBチームキャプテンを行っていて、りんが上がったタイミングの次の日のimpactの朝練で何の連絡もなしに、海斗から唐突にキャプテンだからと押し付けられ、キャプテンを引き受ける事になった。

あの時の光景は今でも忘れません。

そんな感じでキャプテンを引き受ける事になったので、最初の方は全く何もできず、練習中のメニュー変更や、ポイントの数設定などをマネージャーに聞かれても、すぐに指示する事が出来ず、一回誰かに相談したり、その場で悩んでいたら、マネージャーにうじうじするなとか言われる始末。

その中でもキャプテンとしての素質がない自分を当時幹部として支えてくれたてるほさんと翔さんの存在はとても大きく、メニュー決めなどの幹部ミーティングでも沢山の意見を出して頂いたりして、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。


選手としては少しずつアシストなど結果を残せるようになり、Bリーグでも活躍しようと思った矢先に、夏合宿の練習試合で、相手のランクリを阻止しようとプッシュしたら相手を倒し、ボールダウンも成功したが、右手首の骨折という大きな代償を払ってしまった。

そしてBリーグ関東final4での復帰を目指し、治療とリハビリを頑張ったが、その間にBリーグは予選敗退、怪我の治りも悪く予定より復帰するタイミングも遅くなり、全体練習に復帰できたのが年明けとなってしまった。

結局公式戦にでたのはBリーグ初戦の一橋戦、さらにその試合は敗戦と何も結果が残せず、成長した姿を見せれずに終わってしまった。


学生生活最後の4年生、最後ぐらいTOPチームに絡みたいと思って挑んだが、いざ新チームが始まると大半の同期はリーグ戦と入れ替え戦という過酷な戦いを戦い抜き、技術面だけでなくメンタル面でもさらに成長していて、この3年間で差を埋めるどころか開いてしまっているなと思ってしまった。


結局いつも通りのimpactチームスタート。


そしてTOPチームにいくには結果を出さないといけないと思う中で、自分自身の実力が足りずBとの練習試合ですら結果を残せず、焦る日々。

ただその中でも、topに入りたいという気持ちと同じぐらいに一昨年味わったBリーグ日本一を今のimpactメンバーにも経験して欲しいと思い、本気でBリーグを取りに行こうと思っていた。4年生になってもimpactにいる事に対して自分自身の不甲斐なさ、恥ずかしかさも少なからずあったが、それ以上にBリーグ日本一を獲る事のやりがいを感じていた。



Bリーグのリーグ戦が開幕し、リーグを2位で通過する事ができ、final4で早稲田に当たる事になった。






結果は4-6の敗戦。


終了のホイッスルが鳴ったと同時に涙があふれた。


挨拶まで我慢しようと何とか唇を噛むなりして、涙を止めようとしたが、それでも収まらない。一年生の時に思っていたラクロスの試合で泣く事はないだろうと思っていた自分がこの試合で泣いてしまったのは、本当にこのメンバーで勝ちたかった。そしてこのBリーグの間、本気でラクロスに向きあえていたからかなと思う。

結果Bリーグはその後3位決定戦の一橋戦で、ドラマの脚本のようにサドン残り1秒でのともきのゴール、もっている男だなと思った。

これでBリーグも終わり、最後はtopを目指すだけで、けいたややまとなどの同期やimpactのメンバーが最後までtopを目指して頑張ってと声をかけてくれて、頑張ろうと思う気持ちを貰っていたが、その反面topチームのリーグ戦での圧倒的な強さを応援しながら感じ、この壁はとても高いと思い、自分が勝負できるポジションがないなとも感じていた。その中で、10月頃に井村さんから最後に何か残せるものはないかと聞かれた時に、このタイミングで選手を辞め、これまでお世話になったimpactメンバーに少しでも還元したいと思う気持ちと、シンプルに最後まで一緒にラクロスを一緒に楽しみたかったので、impactコーチ的な役割を選んだ。


ほとんどの同期には相談せずに勝手に決めてしまった事は本当に申し訳ないと思ってます。

ごめんなさい。


残りの3ヶ月はimpactコーチとしてやって、impactのメンバーに何か残せる事はできたかは分かりませんが、勝手ですがみんなとするラクロスは楽しかったです。


そしてその間にtopチームはfinal4での東大戦の激闘を制し、その勢いで関東決勝で法政を倒し、全学でも日体の強さをみせつけ、全学決勝でも法政を倒し、学生日本一を獲得し、個人として直接的な貢献は出来なかったが、topチームのメンバーが活躍している姿は毎回鳥肌が立つぐらい興奮し、カッコいいと思っていた。


全日は結果として優勝という目標を果たせていなかったと思うが、応援していて本当にこれまでの試合の中で一番かなと感じるぐらいに選手達のワンプレーワンプレーの気迫であったり、社会人に対してくらいついていく姿が、本当にカッコよかったですし、応援している選手達にも希望与えていたなと思いました。


この4年間ざっくりと振り返ってみて、最初はラクロスが嫌いから始まり、最後の試合では泣けるまでに本気で向き合えるようになり、選手としてはリーグ戦に一度もでずに終わり、成功したとは言えず、自分自身が思っていた様な道を辿れなかったが、この4年間を悔いなく終われたと思う。

どうせまた1年生の時に戻っても、ラクロスに真剣に向き合うかと言われたら、絶対にないと言える。


ただこのラクロス部での4年間で、出会った同期、先輩方、コーチ人、後輩との過ごした時間によって、自分自身のラクロスに対する気持ちも変化していったと思う。

そしてこのメンバーと過ごせた事がとても幸せでかけがのないものだなと感じ、自分が思っていた道では無くても、最終的に充実した時間を過ごす事ができたと思う。

もしかしたらこのブログを読んで、選手としてリーグ戦にでて活躍、topチームに入る事が成功であり、充実した時間だと思う人もいると思います。

後輩達に伝えたい事はもちろん上を目指して頑張って欲しいし、理想はみんながリーグ戦にでて活躍している姿を見たいと思っています。

しかし競争がある以上、自分が思っていた通りに引退する事はできないと思うので、最後この4年間を振り返った時に、色々と苦しい事や辛い事も多くあったが、やりきって良かった思う気持ちや楽しかったと思える気持ち、この人と出会えて良かったなどポジティブな気持ちがあればいいと思うので、まだまだ先な引退までの1日1日を自分なりに過ごしてもらえればなと思います。





最後に同期、impactコーチ人、後輩にメッセージを残そうと思います。


同期へ

まず辞めずに続ける事ができたのはみんながいたからです。本当にありがとございます。入部した時からみんなラクロスが上手く、常に追いかける側で、そして2年生のBリーグでの活躍からずっとみんなのプレーに対して憧れとカッコよさを感じ、いつしかはと思っていたが結局、追いつけず。それでも応援していて、本当に去年や今年のリーグ戦での活躍は本当にカッコよく、みんな輝いていました。

今年のスローガンである「HERO」は、

自分の中では常に活躍している同期のみんながHEROでした。

これからもよろしくお願いします。



impactコーチ人(井村さん、ぞえさん、佐保田さん)へ

今年一年間大変お世話になりました。

ありがとうございます。

本当に三人のコーチ陣の方には、ラクロスの技術面だけの指導だけではなく、練習に対しての気持ちの面であったり、4年生としてどうするかなど常に問て考えさせてくれて、気持ちや考える事など人としての成長も手助けして頂きありがとうございます。

またご都合が合う時にimpactメンバーで飲みに行かせて頂きたいです。お願いします。


後輩達へ

まずimpactメンバーと1年生のみんな、最後まで一緒に練習参加させてくれてありがとう。

本当に楽しかったです。

引退ブログに俺の名前だして感謝伝えても良いよとか言ってくる後輩が何人かいましたが、流石に一人一人にメッセージを書くと文章量が多くなってしまうので、ご理解の方をお願いします。(本当は一人一人に書きたいからね)

先程も書かせてもらったけど、皆んながリーグ戦で活躍している姿を本当に見たい。けど人数の枠があるからそれは叶わない事だけども、24シーズンから皆んながどこの舞台でも、今まで見てきた時よりも技術的にも人間的にも成長している姿と活躍している姿を見たいので、また1年間大変な時期を過ごすと思いますが、頑張って下さい。

リーグ戦とBリーグの応援に絶対行きます。

後impact飲み待ってます。



とても長い文章になってしまい申し訳ありません。ここまで読んで頂きありがとうございます。



次は日体の砦、1番ロングオレンジシャフトの竹内ひろとくんです。




私たち男子ラクロス部はこれからの4年生の活躍、そして新たな門出をずっとずっと応援しています。



引き続き、日本体育大学男子ラクロス部の応援の程よろしくお願いいたします。



コメント
名前

内容


ずみ
2024-01-23 23:19:12

一年間ありがとうございました!!