Blog

ブログ更新情報


2024

'24引退ブログ_#18 尾上朋弥

日頃より日本体育大学男子ラクロス部をご支援、ご声援いただきありがとうございます。

'24NITTAIの最前で走り続けてくれた4年生の最後のブログになります。

"誇り"を胸に、沢山の姿を見せてくれました。

ぜひ読んでいただけたらと思います!


本日は主将 AT#18 尾上朋弥です!


__________________________



日頃より日本体育大学ラクロス部への多大なるご支援、ご声援下さり本当にありがとうございました。

沢山の方々に支えられて24シーズン活動することが出来たと心から思います。

合宿の際の差し入れの数々。

リーグ戦で応援しに来て下さるOBGや保護者の方々。

試合後にメッセージをくださる方々、直接声をかけて下さる方々。

本当に僕たちの支えになりましたし、日本一の結果で恩返ししたいという気持ちでいっぱいでした。

改めまして、心より感謝申し上げます。



紹介が遅くなりましたが、今年度主将を務めさせて頂きました。

尾上朋弥です。




ラクロスというスポーツに出会えて本当に良かった。

この4年間は今までの人生で1番濃い時間で、そのくらい充実した毎日だった。

そして、日体大でラクロスが出来たことは一生僕の誇りです。


そんな僕のラクロス人生を振り返っていこうと思います。

長くなりますが、お付き合いください。



僕がラクロスを始めたきっかけは明確だった。


高校の野球部の同期で一緒に日体大に進学するやつが、たまたまラクロスを知っていてそいつがラクロスをやりたいと言っていたのに影響されてラクロスに興味を持ち始めた。

何よりもラクロスをやりたいと思った理由は、「日本一をとる事ができる」という点にあった。

小学校から高校まで野球をやってきて、日本一の景色とは程遠い野球生活だった。

それ故に日本一というものがどんな景色なのか、どれだけ感動して、どれだけ嬉しいのか。

人一倍興味があった。

高校野球では叶えられなかった夢がラクロスでは叶えられるんじゃないかと期待とワクワクで一杯だった。

これがラクロスとの出会いだった。


高校三年生1月くらいの時点で俺はラクロスをやりたいと心に決めていた。

そこから、親に頼んでラクロスの本を買ってもらってラクロスってどんなスポーツなのかを知った。

知っていくうちにラクロスの魅力にどっぷり浸かっていった。

そうして、まだラクロス部に入部もしてないのに中古でクロスを買ってもらって家の近くで壁あてするようになった。

最初は見様見真似で何が何だか分からなかったし、全然上手くいかなかった。

でも、YouTubeで調べて自分なりに考えて上達していった。




そんな高校三年生である男と運命の出会いをする。




当時日体大に進学するにあたって体育大の予備校に通っていた。

その予備校の校舎はふたつに分かれていて、東京と神奈川にひとつずつある。

普段は2つの校舎が接点を持つことはないが、イベントごとになると合同で集まる。

入試が始まる前の11月頃、日体大の職員の方が説明会を開いてくださるとの事で、東京の校舎で合同で説明会を受けた。

いつも自分が通っていない方の校舎だったから初めて会う人も数多くいて、気まずかった。


そんな中隣に座った、同い年で肌が黒いやつから急に、君日体大行くの?何部入るの?って完全アウェイの中で話しかけてきた。

俺は迷わずラクロス部に入ると言った。

そしたら、そいつはびっくりしたような表情で俺もラクロス部入るんだよね!と言ってきた。

うわ初心者で一緒に切磋琢磨出来るやつ出来た。嬉しい。と思っていたら、そいつは高校からラクロスをしている、石井というやつだった。


これが俺とけいしの初めての出会い。


その説明会が終わった後にけいしよりも背が低くて、太ってるやつにも話しかけられた。


眞下だった。


そして、その後2人に近くのファミレスでご飯を食べながら何時間もラクロスについて語られた。

本でラクロスのルールはある程度理解していたけど、実際にプレーしてる動画を見してもらうと思った以上に迫力があって改めてラクロスに魅了された。

そして、2人と一緒に日体大に合格してラクロス部入って日本一になろうな。

と熱い話をした。


そこから、つるも含め4人で公園でラクロスをしたり、他の岩倉ラクロス部の同期の子も呼んで二子玉川の河川敷で一緒にラクロスした。

めっちゃ楽しかった。笑



月日は経ち、無事に日体大に合格することが出来た。

もちろんラクロス部に入部する決断をする。

目標は自分の中で明確だった。



日本一。



高校までを振り返ると、イップスになって思うように野球が出来なくて、苦しい時間だった。

同期からも信頼されてなかったし、野球でいい思い出をあまり感じれなかった。

だから、今でも野球があまり好きではない。

でも、忍耐力と精神力は凄くついたと思う。

だからこそ、大学スポーツでは俺が日本一に導くという強い覚悟があった。

そして、野球部の卒団式の時に高校野球で目指していた日本一という目標は叶えられなかったけど、スポーツは違えどラクロスで日本一を絶対に達成します。

と宣言した。

そのくらい日本一への想いと憧れと叶えたい気持ちがあった。

結果的に日本一を経験出来て、有言実行出来たんだなと思うと感慨深い。

高校野球で立つことが出来なかった横浜スタジアムの舞台でもラクロスで立つことが出来た。

俺の野球で叶えられなかった夢をラクロスは叶えてくれた。

本当にラクロスをやって良かったと心から思った。


そして、日体大ラクロス部に入部する。

入部前からクロスは触っていたのもあって他の同期よりも出来ることは多かった。

その時の1年生チームは、岩倉3人がインパクトorトップの練習に行ったりで練習や試合を一緒にする機会はあまりなく、フレッシュマンカップまでの練習試合では1勝しか出来なかった。

正直自分の理想としてる日本一の景色とその時の現状にとてつもないギャップを感じて、焦って同期には強く当たったと思う。

日本一プロジェクトっていうプロジェクトも作って、毎日壁あてを強制させるようなこともした。

やっぱり今振り返ると、やらされてやってても上手くならないよなって反省してる。


でも、そのくらい日本一や優勝への思いがあった。

そうして迎えたフレッシュマンカップ。

それまでの練習試合で勝ててない自分たちが、優勝することが出来た。

正直なところ眞下ゲーだったのはある。笑

俺は全然活躍出来てない。

でも、チームが勝てたことが何よりも嬉しくて涙を流した。

これが優勝することの喜びかとスポーツ人生で初めて優勝というものを経験した。





ここからもっと成長して4年生で日本一取るんだと意気込んでいる中、同期数人の退部。



正直分からなかった。



なんでこのタイミングなのか。

チームはこれからだというのに。


その時の1年生全体の指揮はとてつもなく低かった。練習は本当にみんなやる気なかったし、自分自身も気持ちが入らず練習が終わったらすぐ帰るような生活を送ってしまった。

そんな生活を送っていると、その当時育成だった健志郎さんから1年生が集められ、この期間でお前ら成長したか?と聞かれた。

ハッとした。

正直成長してないとしか言えなかった。

そんな生活を送ってた。

その時に俺はなんでこの部活に入ったのか気付かされた。


日本一になるためと。


自分の情けなさと中途半端さに嫌気がさした。


そこからは一時中断していた、日本一プロジェクトも再開した。

チームはまた、再始動して行った。

その時期に行われたBリーグでは、岩倉3人とそうご、るきあがメンバーに選ばれていた。

自分は選ばれなかった。

自分は上手いと正直思っていたし、なんで選ばれないんだろうとまでその当時は思っていた。

けど今振り返ると、上手くなるための生活を全く送ってなかったし、そりゃ入れるわけないよなと思う。


そして、インパクトはBリーグで日本一。


応援していたけど、正直喜べなかった。

自分が思い描いてた日本一の景色じゃなかった。

先輩達や同期が喜んでいる中、なんでここに自分がいないんだろうと思うと同時に、俺もこのくらい喜びたいという気持ちで溢れた。







長くなるので、ウィンター、あすなろの話は飛ばします笑



新2年生へ


1年生の頃の自分を振り返って新2年生に伝えたいことが2つあります。



1つ目は努力することの大切さ。

ラクロスというスポーツは努力した分だけ上手くなる。

言っちゃえば努力したもん勝ちだ。

だからこそ、このスポーツは可能性が無限大だと思う。

入部した理由はそれぞれあると思う。

楽しかったから。

何となく。

友達に誘われたから。

就活で有利だから。

入った動機は色々あると思うけど、こんなにも魅力的なスポーツに出会えてる君たちは幸せだよ。

何者でもなかった自分自身が自分の努力でどこまででも可能性を広げられるスポーツ。

そんなスポーツは他にはないと思う。

ワクワクしかしないよね。

このワクワク大事。

そして、1年生のうちから努力することを習慣化できたら4年生で化けるぞ。

頑張れ。



そして2つ目は、苦手なことにも向き合う癖を今のうちから付けて欲しいということ。

自分は、1年生の頃苦手な左手を使うことから逃げていた。

得意な右手のシュートばっか練習してた。

だめだね。

だからみんなにはこうはなって欲しくない。

上級生になっていくにつれてやっぱり自分の苦手に向き合わなくてはいけない時期が来る。

そこでみんな初めて痛感する。

もっと早くからやっとけば良かったと。

でも、気づいた時にはもう癖がついてて、直すのに時間がかかる。

新チームが始まっているけれど、1年生のこの時期だったら自分の癖を直しやすいし、綺麗なフォームで1年生の頃から練習し続けられればめちゃくちゃ成長できるよ。

常にゲームライクに練習をするように考えること。

今の自主練試合で必要か。とか。

意味の無いことをやり続けても成長にはならない。

考えて考えて数こなして頑張れ!




2年生の時期を振り返ります。

22シーズン序盤はトップチームに入ることが出来た。

シーズン初めての試合の東大戦ではトップチームでの初ゴールを記録したり、武蔵との練習試合でも点を決めることが出来たりといいスタートを切ることが出来た。

正直このままいけばリーグ戦もメンバーに入れるんじゃないかと思ってた。

それがいけなかった。

甘かった。


徐々に落ちていくシュート精度とぐちゃぐちゃになるフォーム。

あー、野球やってた頃のイップスになりかけた。

ラクロスが訳分からなくなった。

俺努力してるのにって思ってた。


そして、春先にインパクトチームに落ちる。

その頃の自分は正直プレーに自信が無かったし、気持ちの面からも落とされても仕方ないと思うような状態だった。


努力してるのにどうして上手くいかないんだろう、どうしたら自信を持ってプレーができるんだろうとめちゃくちゃ考えた。


考えた結果自分が思っている努力はまだまだ足りていないんだと気付かされた。

健志郎さんの誰よりも努力し続ける姿勢。

うわぁ。

俺より上手い人でもこんなに努力してるんだと思った。

慢心してた。どこか自分は上手いと思ってたし、成長することに貪欲になれてなかった。

そりゃ、トップチームにいたらだめだな。


そして、努力をしないといけないことに気づき何をしようかとめちゃくちゃ考えた。

トップチームの人達と同じことをしてても、成長速度は変わらないし目立たないと思った。

そして、今の自分に出来ることを考えた結果、ウエイトを死ぬほどやることだった。

チームはリーグ戦前、体作りよりも技術面にフォーカスしがちが時期。

ここが自分が目立つことができるところで、尚且つ今後もっと上にいくためには必要な要素だと思った。

そこからは、無我夢中にウエイトをする毎日だった。

どんなに疲れていても妥協してる奴がトップチームで自信もってプレー出来るわけないと自分を奮い立たせてひたすらに鍛えた。


その結果、チーム内でもビック3の重量が上位に食い込めるくらい上げられるようになった。


そこからは自分の成長を特に感じるようになっていった。


リーグ戦予選では、慶應戦でメンバーに選ばれることが出来たり、入替戦にも選んで貰うことが出来た。

やはり努力は大事だなと痛感した。



新3年生へ。

僕から伝えたいことは1つ。


現状に満足しないこと。


トップチームに選ばれてるからと慢心して自分の成長にブレーキをかけるな。

まだまだ他大には上手いヤツらがいっぱいいる。

自分は全然まだまだ。

常に自分自身と向き合うこと。

2年生での努力が3年生でチームを勝たせられる漢になれるか決まるよ。

謙虚に。貪欲に。ラクロスに向き合おう。

頑張れ。





そして、3年生。

ここが自分の大学ラクロス人生の転換期だった。

シーズン初めは、ラクロスの技術では、試合に出れるかどうかの立ち位置だったと思う。

それでも2年生で手に入れたウエイト数値増加によるパフォーマンスアップによって、1on1、シュートスピード、アジリティー、メンタルが格段に成長した。

やはり、自信を持てる何かをひとつ持つことって大事だなと思った。

先輩は自分よりも上手い人ばっかだったけど、何故か自信はあった。


迎えたつま恋。

自分のプレースタイルが確立してきた中で、第4ターム内での得点王に輝くことが出来た。


やっと燻ってた自分のラクロス人生が変わり始めた。


もちろん技術面での成長はあったと思う。

でも1番は自分に自信がついたことによって打つシュートがほとんど入るような感覚だった。

やっぱりスポーツにおいてメンタルって本当に大事だなと思う。

いつもなら入る位置でも頭のどこかで入らないと思ったら入らないもんなんだよね。

そういうもの。



そこから、調子は上がっていき迎えた23シーズンリーグ戦。

3年生ながらも、主役は自分の気持ちで試合に臨んでいた。

そのくらい自信を持っていたし、試合ができることにワクワクしていた。


初戦の東海戦。

実際にしっかりと試合に出場してリーグ戦を迎えるのは初めて。

正直結構緊張してた。

でも、俺ならやれるという自信はあった。

結果は2得点。

まずは初めてのリーグ戦ホットした。


迎えた慶應戦。

0得点。

チームは勝てた。

やっぱり個人としては悔いが残る試合だった。

気持ちで負けていたな。

どこか相手の方が上手いと思ってしまっていた。

悔しかった。


そして、一橋、獨協、中央戦と3試合通して、獨協戦のエキストラの1点だけしか取れなかった。

思ったような結果は出ない。

それでもチームは当たり前のように勝ち進む。


本当に頼れる先輩方でした。。



迎えたFinal4。

負ければ先輩たちの引退。

勝てば全国。

ここで自分の気持ちの持ち方が変わったように思う。

予選は正直、自分の活躍を第一に考えていたと思う。

でも思うような結果が出ないまま予選を終えた。

当たり前のように勝ち進む先輩達がいたからこそ、自分のことを考えることに重きを置けた。

でも、Final4は負けたら先輩たちの引退がかかってる。

そして、23シーズンそれまでの練習試合で負け無しの東大。

東大はこの試合に全てをかけてくる。

1ヶ月間みっちり対策した中で挑んでくる。

怖かった。

それでも先輩たちを引退させる訳にはいかない。

ここからの自分の気持ちの持ち方は、自分視点じゃなくてチーム視点へと変わっていった。

チームの勝利のために全力を尽くした。

眞下が試合を決めてくれた。

試合中何度も先輩たちの引退がよぎった。

それでも、何とか勝ち切ることが出来て全国へと出場した。

あの試合は今でも何度も見返すくらい面白い試合だった。


そうして迎えた、関東Final。

1位通過で迎える全国か、2位通過で挑む全国かじゃ大きな違いがある。

この試合絶対落とせない。

両者譲らぬ試合展開。

ざわめく会場の雰囲気。

最高の舞台だった。


こんな舞台で試合が出来ていることがまずは本当に嬉しかった。

野球と比べ、ラクロスではこんなに多くの観客の中で試合をすることは出来ないんじゃないかと思っていたが、想像の何倍もの規模で試合が出来た。


ただひたすらに楽しかった。


そして、サドンで点を決めた。

Final4で眞下が決めたから今度は俺が先輩を勝たせる番だと思っていたから嬉しかった。


そして1位通過で迎えた全国。

北海学園と南山相手にしっかり勝ち切ることが出来た。


そして、全学決勝。

京都開催だったのにも関わらず、たくさんの人が応援に駆けつけてくれた。

本当に応援されるチームだな。

日体で良かったと思った。

そして、チームは学生日本一になった。

本当に嬉しかった。

先輩たちを勝たせられてまずはホッとした気持ちが大きかった。

こんだけ多くの人たちが感動してくれて、自分たちの勝利を喜んでくれている。

こんな景色を来年も見たい。と強く思った。



そして、23シーズン最終戦の全日。

僕にとっては夢の舞台。

野球での悔しさを晴らす試合。

グリ相手でも、負ける気はしなかった。

2点先制してこれはいけると思った。

そして、同点に追いつかれ3点目を決めた。

それと同時に脇腹を怪我をした。

その後の試合は出れなかった。

申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

先輩たちがグラウンドで戦っている中、ボックスで這い蹲ることしか出来なかった。

悔しかった。

そして、負けた。

自然と涙が出てきた。

そのくらいこのチームなら勝てると思っていたし、先輩たちが負けて引退してしまうのが悔しかった。

でも、スタンドを振り返ると多くの観客がいて、自分たちに声をかけてくれた。

改めて、いいチームだなと思った。

でもその裏には、見えないところで動いてくれているボックス外の選手やスタッフ。

他大に声をかけてくれている人、そんなチームを作り上げるために行動してきたこれまでの数々の行動があって、この景色が見られるんだなと気づいた。

この景色はただここまで勝ち上がったから作れた景色じゃない、たくさんの努力があって作り上げることができた景色だと。気づいた。






来年もまたこの舞台に戻ってくる。

そして、この景色をもう一度、それ以上に。と心に決めた。




そして迎えたラストシーズン。


主将に立候補した。

自分たちの代で日本一になりたかった。

その一心だった。

でも、主将としての能力は優れていない。

それは今までの経験上分かっていた。

それでもここでやらない選択をして後悔はしたくなかった。


みんなから出る懸念。

分かっていた。

みんなから懸念が出ることも。

全員が納得して主将になれるとも思ってはなかった、でも納得させられるくらい行動しようと思った。

日本一のためなら自分を変えてでもやる覚悟はあった。



そうして、主将になった。

全日が終わってから、24シーズンが始まるまではあっという間だった。


ラストシーズンに向けて覚悟を決めるために、4年生のこの時期から一人暮らしを始めた。

そして、何か1つ自分がやりきったと言えるものを作りたい。チームの先頭に立って姿でみんなを引っ張っていきたいという強い思いから、朝練の朝練をするようになった。

6:30からの練習開始の前の5:40位からグラウンドに行って1人でシュー練をする時間を作った。

主将としてチームのことを考えなくては行けないことが多くなって、自主練にあてる時間も3年生の頃よりかは少なくなってしまうこともあって、この時間は本当に大事だった。

自分の課題に向き合った。



24シーズン掲げた、スローガン「PROUD」

全員が勝つために、応援されるチームを作るために誇りを持てる行動をしようと掲げたスローガン。

みんなはこの1年間誇りを持って行動出来たかな。

自分自身の行動に誇りを持てなかったら、何を信じて戦うのか。

そして、チームとしても自分たちを誇れていない状態で日本一にはなれないし、相応しくない。

そのために誇れる行動をし続けようとこのスローガンを掲げた。



そしてビジョンには「人々に夢や感動を与えられる集団」を掲げた。

昨年日本一を達成して、多くの人たちが自分たちのことを応援してくれた。

そして自分たちと共に喜びを爆発させてくれたり、涙を流してくれたりと、多くの感動。そして、1部最下位からの学生日本一というラクロス界にとっても、希望を与える存在となった。

可能性は無限大。

自分たちを見て、誰かの何かのための原動力になりたい。そんな夢を与えられる存在になりたいと思い、このビジョンを掲げた。




振り返るとこの1年間は本当に色々なことがあった。


シーズン初めのつま恋。

前年度第4ターム優勝チーム。

そして、学生日本一の重圧。


色々な大学から見られる目が変わっていった。

日体すげー。とか。

色々言われていた。

でも、自分たちはまだ何も達成していない。

そして、昨年のチームからメンバーも大きく変わった新シーズン。

俺らはチャレンジャーの気持ちで臨もうと常日頃言っていたと思う。

そんな中つま恋を優勝出来たことは素直に嬉しかった。

でも勝たなくてはいけない気持ちからホッとした気持ちの方が強かったかな。



今年度から始まった七大戦。

リーグ戦を想定して、毎試合スカウティングも行い本気で勝ちに行った。

序盤武蔵に悔しくも敗戦し、獨協にも引き分け。

最強決定戦出場のためにはチームとしてはもう負けられない状況になった。

そして、明学、青学、一橋と勝ち切ることがでに、2位通過。

でも、その時の自分たちは今勝つことに重きを置いてしまっていた。

もちろん目の前の試合に勝つことは大事。

でも、長期的に見てリーグ戦で勝つためにその時期の完成度にもっと重要視するべきだった。

勝ったからよしではなく。

そして、これを奥村さんに言われて気付かされたことがまだまだ自分たちの弱さだなと感じた。


迎えた最強決定戦の明治戦。

その前の練習試合で勝っていたこともあり、勝てるだろうという雰囲気がチームの中では充満していた。

もちろん気合いはみんな入っていた。

立ち上がり3点先取して、どこか安心してしまったところがあった。

そこが自分たちの弱さ。

後半に勝ち切ることが出来ない、追い上げることが出来ないのが課題だった。

結果はサドンで敗北。

気持ちって本当に結果に直接影響を及ぼすんだなと感じた。

いけるだろうとか、このままなら勝てるとかそういう慢心が結果を左右すると気づかされた。



そうして、迎えたリーグ戦。

初戦の青学戦。

2年生が大半を占める今シーズンでは、初戦は本当に大事で試合感を掴める一戦だった。

みんな緊張してたと思う。

緊張とは裏腹に序盤から得点を重ね、自分たちのペースを作れた。

だが、課題の後半。

全く焦る試合展開ではなかったはず。

それでも上がらないクリア。

続くミス。

結果的には7-4で勝利することが出来たが、満足のいく試合結果では無かった。

最強決定戦からの課題がまだ残るような試合内容だった。

緊迫した場面で、勝ち切れるチームになるためにはもう何段階もチームとして成長しなくては行けないと感じた。


そして、次戦の早稲田戦までの約1ヶ月の期間。

この試合がどれだけ大事かは、試合前から分かっていた。

ブロック的にもここでの勝利が絶対に必要だった。

このままの状態で挑んだら負けると思った。

そうして、自分たちでノルマを決めてやり切ることを決めた。

みんなは最後までやりきる事が出来ただろうか。

自信を持って早稲田と戦えていただろうか。


俺は今までの人生で1番努力した瞬間はいつと聞かれたらこの時期と言うくらい正直キツかった。

1年生の頃日本一プロジェクトを掲げ1人1日1000回の壁あてをノルマにしていた。

でも、この量じゃ1年生から成長してないと思って、壁あて1000回とシュー練or左手ランシューのシャドー100回をノルマにした。

絶対に早稲田には右手を使わせてもらえたいだろうと思っての、左手の強化。

どんなに遅く帰っても。

どんなに暑い日でも、1日も妥協しなかった。

みんなも頑張っていたと思う。


そして早稲田戦前の最後の夏合宿を迎えた。

セブンティーンを毎日のようにやってきつかったのを思い出す。

でも、ここで弱音吐いたら負ける。

誰よりも声を出した。

誰よりも走った。

そして、練習中求めた。


結果的にはいい合宿に出来たと思う。


そして万全な状態で挑んだ早稲田戦。

勝つ自信しかなかった。

負ける姿は想像出来なかった。

そのくらい気合いが入っていた。

ボックス内もボックス外も。

応援も最高だった。

両者譲らぬ試合展開だった。

でも、強度で早稲田に負けていたなと振り返ると思う。

フィジカルに自信を持っている相手に対して、まだまだ課題が見つかる試合だった。

結果は5-7で負け。

悔しすぎた。

自分たちがこれまで死ぬ気で努力してきたのに勝てなかった。

まだ何か足りなかった。





その後の食事会でも、悔しさが込み上げてきた。

涙を流した。

絶対勝てると思っていたからこそ、立ち直るのに時間がかかった。

あー。今振り返るだけでも悔しい。


そして、翌日に駿太さんの家で今後について話し合った。

その時の自分は正直まだ前を向けていなかったけど、駿太さんと話して前を向く決心をした。

チーム全体としてもショックが大きかったのか、練習でも元気が無い。

もう、Final4への可能性が無いかのような。

このままじゃダメだと思った。


そして迎えた武蔵戦。

その前日の雰囲気は本当に勝つのに相応しい姿だっただろうか。

正直甘いなと思った。

練習後の集合で喝をいれた。このままの雰囲気で勝てるわけない。

試合前日だったけど、これじゃダメだと思って強く言った。

そして、試合当日。

雷で中止になったのが幸い。

1失点してゲームは終了した。

あのまま試合が進んでいたら、勝てていなかったと思った。

技術面じゃなくて、気持ち的に。

このままじゃ勝てない。

そのためにはまずは4年生を変えなくては行けないと思って、そこから翼と学年ミーティングを計画した。

チームの核となる4年生が、引っ張っていかなかったら後輩はついてこない。

厳しく言った。


そして、明治戦を迎える。

対個人での課題感がチーム全体としてあって、練習内でも練習外でも対人をやることがその1週間多かった。

強度も負荷もたかかった。

体にもがたが来てきた。


だからこそケアは絶対に怠っていなかった。

だが、前日練習で左ハムストリングを軽い肉離れした。

その日ずっと違和感があった。

途中で練習を抜けてケアもした。

それでも怪我をした。

正直不安だった。

この試合に負けたらFinal4への望みが消える。

そんな中での怪我。

チームに迷惑をかけた。

申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

あまり表には出さないようにはしていたけど、1人になるとその日はずっと泣いてた。

練習後のエレベーターでかいざんにはバレてたかな笑



そして明治戦。

試合前にりょうごやしげがともやさんいなくても勝てますんで安心してくださいと言ってくれたのが頼もしかった。

そして、何よりも眞下があの試合をきっかけに覚醒してくれた。

うまくいかない期間も長かったと思う。

思い悩んでいた時期もあったと思う。

それでも、見えないところで努力し続けてやっと結果に結びついた眞下の過程は絶対間違いじゃなかったと思う。

本当に頼れる存在だった。

負けてたら出るつもりだったけど、出なくてもしっかりとみんなが勝ちきってくれた。

何よりも、みんなの成長をこの試合通じて感じた。

改めて仲間の大切さと偉大さを感じた。


そこからはチームとしてどんどん成長していって迎えた武蔵戦。

前回の武蔵との試合とは明らかに戦う姿勢が変わっていた。

序盤相手に相手に決められたけど、その後にしっかりと取り返した。

この試合も自分はあまり出れなかったけど、勝ってくれると信じていた。

そして、しっかりと勝ちきってくれた。

りょうごの覚醒。

しげの左ランシュー。

眞下のリスタート。

努力してきたことが諸に出た試合だったな。


みんな本当にありがとう。



一戦毎に成長していくチーム。

慶應戦では、俺が絶対チームを勝たせると意気込んでいた。

みんなが繋いでくれたFinal4への道。

慶應相手とか関係なく負ける気はしてなかった。

前日の学年ミーティングでも、みんなが熱い思いを語ってボルテージはMAXだった。


それでも勝てなかった。


24シーズンが幕を閉じた。

引退の実感が湧かなかった。


観客席を見ると多くの人たちが自分たちのことを応援してくれていた。

去年経験した景色は見れなかったけど、こんなにも多くの人たちが思いを持って応援してくれていたんだと思うとこの1年間の過程は間違えていなかったんだと思った。

涙を流してくれた、女ラクのみんな。

全力で応援してくださったOBGの方々。

いつも温かい言葉をかけてくれる保護者の方々。

試合に駆けつけてくれた他大の人達。

みんなのために勝ちたかった。

日本一になりたかった。


悔しい気持ちでいっぱいだった。









新4年生へ


後悔するような過程を絶対に過ごさないで欲しい。


これに尽きる。

今この瞬間に全力を注げ。

辛くても苦しくても逃げるな。

自分に。仲間に。チームに。向き合い続けよう。

ここからたくさんの意思決定をしていく中で選択の毎日だと思う。

後悔しない選択を。

その選択の積み重ねが絶対に1年後の姿になるから。


それを信じて毎日頑張れ。

君たちなら日本一になってくれると信じてるよ。




ここからはみんなに感謝の思いを伝えようと思う。



つばさへ

つばさがいなかったら、俺は頑張れてなかったかもしれない。

そのくらい俺の中での原動力だった。

つばさが頑張ってるから、俺も負けてられねーなと常日頃思えた。

いつもボックスにはいなかったかもしれないけど、どんな時でもつばさのことを思って試合してたよ。

この1個のグラボ。シュートに気持ちを乗せよう。

今この瞬間もつばさは死ぬ気で声を枯らして応援してくれてる。

その思いに答えようって。いつも思ってた。

どんなに劣勢な状況でもあいつは諦めてないだろうなって思って頑張れた。

そして、馬鹿な俺にも色々チームのことでアドバイスをくれたり、一緒に考えてくれてありがとう。

感謝してもしきれないよ。

一緒に戦えて良かった。



けいしへ

けいしが喝を入れてくれるとチームが引き締まるのをいつも感じてた。

練習中雰囲気に関して敏感で、俺が誰かの声が欲しいなと思った時に絶対けいしが声を出してくれてた。

頼れる存在でした。

社会人でもラクロス続けてね。



まっしーへ

適当だったり、細かかったりするけど、ラクロスへの思いは人1番強いのは知ってる。

そして、勝ちたい気持ちも誰よりも持ってる。

眞下ならやってくれると最後まで信じていたし、実際に最後結果で見せてくれて本当に頼れる存在だった。

厳しいことも色々言ったとは思う。

それくらい眞下には期待してた分強く言った。

ダブルエースとして、一緒にOFを引っ張っていけて良かった。



あきとへ

誰よりも正義感が強いし、ラクロス熱心なオネエだった。

なんだかんだマジで信頼してた。

スローイング意外は。

チームのことも色々考えてくれてありがとう。

あきとがいなかったら、慶應戦のあの景色は見れてなかったと思う。

そして、学年の雰囲気も重かったと思う。

感謝してます。



いだけいへ

試合出して上げられなくてごめん。

一緒に最後まで戦いたかったな。

怪我で今シーズン絶望の中でも自分のやるべきことを全うしてチームのために一緒に戦ってくれる姿に勇気を貰ったし、いだけいのために勝ちたいという思いでいっぱいだった。

ラクロスやるよね。

もちろん。

これで終わりとは言わせない。


よーたへ

俺はよーたがいてくれなかったらここまで楽しいラクロス生活を送れなかったと思う。

そのくらい一緒に居たし、一緒に努力した。

よーた自身では、満足のいく結果では無かったと思うかもしれないけど、貪欲に頑張り続ける姿勢は後輩に届いてると思うよ。


ようせいへ

インパクトチームで4年生1人の時期もあって苦しい時間も多かったと思う。

それでも、自分の強みを信じて貫く姿は届いてるよ。ようせいのライドとグラボの寄りを見て俺ももっとやらなきゃと何度思わされたか分からない。

そのくらい影響を与えていたと思う。

後輩に届いてるよ。



同期みんなに描きたい気持ちはあるけれど長くなりすぎるので、何人かだけにさせて下さい。

学年会ででも話しましょう笑



ここからは後輩へ。



まずはりょうご。

誰よりも努力家。

この一言に尽きる。

りょうごを見て俺ももっとやらなきゃ先輩として情けないなといつも思わされていたよ。

その忍耐力はりょうごの1番の武器だよ。

24シーズンでの覚醒からまたもう一段階覚醒したりょうごを25シーズンでは見せてくれ。

期待してる。



みなみ

怪我明けが1番調子がいいという謎のジンクスがあるけど、1on1では俺が1番信頼置いてたよ。

あとは、体でかくするのとシュート上手くなる事だな。

クリース魔人にはまだなりきれてないから、極めよう。

来年はみなみがチーム引っ張っていくんだぞ!お前ならやれる。

信じてるよ。



しげあき

18番をシゲに継承出来て良かった。

来年もっと爆発することを期待してる。

器用で何でもそつなくこなせるのがしげのいい所。2年生ながら左ランシューを決めたのは正直驚いた。俺には出来なかった。

才能もあるし、努力もできるからこっからが勝負よ。

ラクロス界を代表する選手になるんだぞ。

日体の18番を任せた。


まさき

まさきには1番厳しくしたな。

ビデミ一つ一つに突っ込んで、怒ったよな。

これからチームを引っ張っていく存在にならなきゃ行けないんだから、もう言われる側じゃないよ。MFリーダーになって、圧倒的な存在感を出していることに期待してる。

いつまでも、誰かが話してる時にべちゃくちゃ喋ってる場合じゃないぞ。


臼井

とにかく緊張しすぎな。

もっとリラックスしよう。真面目でやることをしっかりとやる臼井はOFには必要不可欠な存在だったよ。

ラクロス面的にも、チーム的にも。

臼井はもっとガムシャラにやっていいぞ。

上手くやろうとしなくていい。

結局最後勝つのは気持ちだから。

気持ち全面に出して頑張れ。


純太

この1年間で、色々経験できたと思う。

来年はATのスタメンとしてチームを引っ張っていく存在にならないとな。

誰よりも努力家で、平気で毎日練習するくらいタフなやつ。

また、夏合宿のセブンティーンとかサーキットで、りょうごの3人で声出したのが懐かしいな。野球部って感じ。イップスはあのくらい泥臭くやらないと生きてこれないよな。

来年もチームを鼓舞し続けてくれ。


木村

ポテンシャルがあると言われ続け悩んでいると思う。

我が息子よ。

接点にまだビビってたらダメだ。

食トレ。筋トレ。

お前ならもっとやれる。

自分信じて、頑張れ。


寺内

色々悩み苦しんでいると思う。

でも、日本一への熱い思いがあれば絶対みんなついてきてくれる。

誰よりも熱い寺内なら絶対日本一の主将になれるぞ。

仲間を頼って、最高のチームを作ってくれ。

そして、今年以上に魅力的なチームになって日本一を取り戻してくれ。

自信もて。

お前ならやれる。


近藤

俺はズミを後輩で1番信頼してた。

そのくらいチームに対して発信していたし、俺も気付かされることが多くあった。

厳しく言うことって誰しも嫌な事だと思うけど、それを率先してチームのために言えるのはさすがだった。

後悔してからじゃ遅いからね。

来年は最前線でチームのこともDFのことも引っ張っていかなくてはいけないと思う。

熱く。泥臭く。それでも顔はかっこよく。

来年も期待してるよ。



女ラクのみんなへ

1年間一緒に日本一を目指して切磋琢磨出来て良かった。4年になるまでは正直あんまり仲良くなかった代だったと思う。それでも、お互いに応援するのにただ応援するような関係は嫌だと思って積極的にコミュニケーションを取ってました。笑

だる絡みすることもあったと思う笑

それでも、女ラクのみんながいつも頑張っている姿に勇気をもらっていたよ。

リーグ予選最終戦の慶應戦では、本当に感動した。なかなか厳しいと言われていた中だったと思うけど、それでも勝ち切る強さ。これまでの努力だったり思いの強さが全面に出た試合だったね。

俺らも慶應に勝って一緒にFinal4いきたい思いでいっぱいだったよ。

結果的に俺らは勝てなくて引退してしまった。

そして、女子もFinal4で悔しくも負けて。

お互いに日本一の夢は途絶えた。

それでもこの1年間女ラクを1番近くで応援出来たこと、切磋琢磨して戦えたこと。

本当に楽しかったし、1ファンでした。

来年は頼れる後輩たちが男女共に日本一を取ってくれると信じてるよ。

また、あの景色に連れてってください。

ありがとう。





そして、コーチの方々へ。


駿太さんへ

24シーズン日本一に向かって一緒に戦って下さり本当にありがとうございました。

主将としては全然足りていない部分ばっかだったと思います。

駿太さんの想いを常日頃から聞いて、こんなにも日体のために行動してくださるコーチは絶対いないなと感じていました。

だからこそ、日本一の結果で恩返ししたかったですが、叶わずすみませんでした。

まだまだ未熟な僕ですが、ここまで成長させてくださってありがとうございました。

本当に本当にお世話になりました。



奥村さんへ

OFリーダーとして、まだまだ至らない点が多かったと思います。

それでもこの1年間OFだけでなく、チーム全体にフォーカスして指導して下さって確実にチームは強くなりました。

奥村さんが世界大会から帰ってきて、また一緒に戦いたい気持ちでいっぱいでしたが、勝てなくてすみません。

また、一緒にラクロスしましょう。

4年間本当にお世話になりました。



最後に両親へ

4年間1番近くで支えてくれてありがとう。

4年になった時、本気で日本一になるために頑張るから一人暮らしをさせてくれと無茶なお願いだっただろうに聞いてくれてありがとう。

そのおかげでこの1年間本当にラクロスに集中できた。

もう1回あの舞台に2人を連れて行けなくてごめん。

これで大学ラクロス生活は終わるけど、社会人でも活躍できるように頑張るね。

約14年間のスポーツ人生。

2人がいなかったら乗り越えて来れなかった。

感謝してもしきれません。





この4年間は僕にとって人生の宝物ような時間でした。

そう思える程にラクロスに熱中したし、この仲間と日本一を本気で目指した。

後輩にまた日本一の景色を見せてあげたかった。

同期と喜びを爆発させたかった。

コーチの方々を勝って胴上げしたかった。


もうみんなと日本一に向かって切磋琢磨出来なくなっちゃうのが1番悲しいし悔しい。

それでも、後輩達にはまたあの最高の景色を見て欲しい。

だからこれからも日体大ラクロス部に関わるし、全力で応援します。



僕の青春をありがとう。

僕を成長させてくれてありがとう。

日体大ラクロス部に出会えて良かった。

愛してます!


本当に本当にお世話になりました。






長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。


これからも日体大ラクロス部を応援してくださると幸いです。


24NITTAI 主将  尾上 朋弥


___________________________


最後まで読んでいただきありがとうございます。

これにて、24日体の引退ブログリレーが終了となります。

沢山の方々に愛され、応援され、一緒に戦えたことをとても光栄に思います。



そして4年生へ

4年生の方々のこれからの未来が、より色鮮やかなものとなりますよう部員一同応援しています。

たまに顔みせにきてくれると嬉しいです!




このチームに関わってくださっている全ての方々へ

新しいシーズンがもうすぐ始まろうとしています。

まだまだ日体ラクロス部の歴史は進んでいきます。

今後とも応援のほどよろしくお願いいたします!





コメント
名前

内容