日頃より、日本体育大学男子ラクロス部への多大なるご支援、ご声援ありがとうございます。
リーグ戦を通して会場での応援、配信からの応援が
僕らの励みとなり、原動力となりました。
心より感謝申し上げます。
昨年、今年と7番を務めさせて頂き、
今シーズンでは一応OFリーダーをやってました。
4年MFの渡部海南未です。

FINAL4で早稲田大学に負け、引退となって約2週間が経ちましたが、
試合に負けた悔しさと共に、あの世田谷のグラウンドで同期や後輩、コーチたちともうラクロスができなくなるのかと思うと、寂しさを感じています。
かなり自己満足なブログに仕上がっていると思いますが、いろんなことがあった4年間だったので、どうかお付き合いください。
まずは簡単に、ラクロス部との出会いから。
ラクロスという競技を知ったのは、友達(日本体育大学女子ラクロス部の主務)がラクロス部に入ると聞いて軽い気持ちで体験に行ったら、
「日本一になれるよ!」とか、「日本代表になれるよ!」と言うように調子よく勧誘されて、
あっという間に入部していました。
正直な話、
1年生の頃はこれといって思い出はありません。
僕らの練習にはコーチがいないのが当たり前で、
練習試合も勝てず、サマーもウインターも予選で敗退でした。
ある時には、練習が2、3時間ある中でずっとサイドステップの練習をしたことがありました。
段々と、貴也さんから合格をもらっていく中で、未来だけはずっとやり続けていたことは鮮明に覚えています。
今となってはもう笑い話です。
そんな中で、トップチームは入れ替え戦に進みました。
リーグ戦を応援する中で、「今日も負けるのかー。」と頭のどこかで考えていた自分が、
腹立たしいくらいに、この日だけは熱く、
"ラクロスってこういうものだ"と言わしめるくらいの試合で、一部残留を決めました。
2年生になり、徐々にラクロスの面白さや上手くなっていく自分に楽しさを感じていました。
そして、最後の学年試合で準優勝という結果を修め、
同時に、翌日からのトップチームへ帯同することになりました。
(後日知った話ですが、そうたろうさんが奥村さんに直談判して入れてくれたそうです。嬉しいですねぇ。)

そんなこんなで知る人ぞ知る、
左ニキ(谷口さん、門脇さん)の生活が始まることとなります。
トップチームに上がってすぐは周りとのレベルの差に驚き、一緒にラクロスをするのが恥ずかしい気持ちになったのを覚えています。
そんな中でも、4年生の安心感というか、ラクロスへの向き合い方をみて、
この人たちとずっとラクロスをしたいと思いました。
リーグ戦が始まりチームは予選全勝、
FINAL4に勝ち全国大会へ進出。
FINALもなんとか勝つことができました。
僕は、東海戦(ゴール未遂)、一橋戦、中央戦に出場することができ、
ゴールを奪うことはできなかったものの良い経験を積むことができました。(ここから、リーグ戦十何試合無得点記録が始まっています。)
ちなみに、試合に出ない時は盛りあげ隊です。
(詳しくは、きいちのブログにて)
全国大会も危なげなく勝つことができ、
来たる全国決勝を京都で戦いました。
(もちろん僕はボックスにはいましたが、出ていません。)
関東決勝でも戦った法政に対して、圧倒的な差をつけて優勝することができました。
学生の中で日本一です。
この時に、
自分の代でも日本一を取りたいと強く思ったのを覚えています。
でも、
日本で1番長いシーズンを過ごしても、A1が終われば引退です。
浜スタでの4年生の姿はHEROそのもので、引退するのが悲しかったです。
そんな日本一を取った翌年の3年生。
この1年間、チームに貢献できたと思った瞬間は一度もありません。
体重が足りなくて練習入れてない期間があったり、
OFリーダーはできなかったり、
この年のリーグ戦では点を取ることもできなかった。
「不甲斐ない」の一言で片付けるには、申し訳ないほどのパフォーマンスでした。
あの時の4年生には頭が上がりません。
日本一を取った次の年は難しいと言われている中で、
僕は頭のどこかで、
「去年日本一取れたからなんとかなるでしょ。」
「去年ずっとボックス入ってたからいけるでしょ。」
こんな風に慢心していたんだと、今になって思います。
あの時、駿太さんや奥村さん、丸茂さん、井村さん(伝説のImpactコーチ)が、試合を重ねるたびに相談に乗ってくれていました。
駿太さんには、「奥村さんがどれだけ期待しているか、奥村さんがどれだけみなみに信頼を置いてるか考えたことがあるか?」と言われたのを覚えています。
この一言を考え続けた結果が今に表れたと思っています。
今の2年生は肝に銘じてください。
今の自分に慢心しないで、今日よりも明日、
今の自分より未来の自分がレベルアップするための思考を止めないでください。
そして、自分を信じなくなったり、コーチを信じなくなったら終わりです。
3年生になったらもう引っ張る側になります。
立派なリーダーです。
日々考え続けてください。
いよいよ、4年生です。
もう既に、他の人のブログを読んで下さっている方ならわかると思いますが、
25nittaiは、すんなり始められるものではありませんでした。
次の世代に渡そうかという話にもなりました。
日本一は無理だと話になったこともありました。
でも、
1年生の時に入れ替え戦。
2年生で日本一。
3年生は予選で敗退。
こんな経験をした代は他にないと思います。
25nittaiで、僕らの代で日本一を取るという目標を決めました。
それからの日々はほんっとうにあっという間でした。
まずは、最強決定戦での優勝。
これはすごく嬉しかったです。
予選の横国戦と獨協戦はチームとしてこのままではいけないと再認識した2試合で、
がんぽんさんの
「日本一を取れるようなチームではない。ギリギリFINAL4のレベル」という言葉でみんなが変わり始めましたね。
そこから予選突破を果たし、
準々決勝の早稲田、準決勝の慶應、決勝で明学に勝ち、
決勝はu20が不在の中、進化した日体を見せられたことがとても嬉しかったです。
このままの流れで勝てると信じて始まったリーグ戦。
慶應戦、横国戦、法政戦は生きた心地がしませんでした。
せっかく開幕戦の舞台に上がらせてもらったのに負け、
横国戦と法政戦は勝ったはいいものの、僕のリーグ戦無得点記録は継続でした。
あの時は、健志郎さんと駿太さんにはたくさん慰めてもらいました。
法政戦の後、駿太さんと話した時には普通に泣きそうだったけど我慢してました。(ばれてたかな、、。笑)
そして、迎えた立教戦。
ついにリーグ戦無得点記録が終わりました。
正直、点を取った時のことは覚えてません。(嬉しすぎて)
でも点を取った時に、OF陣のみんなと奥村さんが喜んでくれたのは覚えてて、とっても嬉しかったです。
後に、僕が点を取った時に駿太さんが1番喜んでたと聞いて、勝手に喜んでました。
※一橋戦は負けて悔しいので飛ばします。(ちなみに2点取りました)
正直、立教戦から引退までの1ヶ月とちょっとの僕は、めちゃくちゃうまかったし、めちゃくちゃラクロスが楽しかった。
FINAL4合宿も練習試合も、1on1もシュートも止められる時もあるけど、不思議と止められる気がしませんでした。
それくらい、自信を持ってFINAL4進出を果たしました。
僕らの代は、1年生の頃から史上最弱の代とか、育成失敗の代とか言われてた不遇の代なので、素直に嬉しかったし、ずっとお世話になった先輩とか、コーチたちに恩返しできると思いめちゃくちゃ楽しみでした。
あとは、ゴールを取るたびに「味があるねぇ。」とHCが言ってくれると嬉しかった。
そんなこんなで早稲田戦を迎えました。
2年前、満員のスタンドの中、
ボックスから、グラウンドに向かってきいちと茶々入れながら見ていた景色が、
自分がグラウンドに立って見れていることに感動しました。
一生懸命声を出して応援してくれているImpactのみんなと1年生。
顔も名前もわからない中で、応援してくれている他大学の人たち。
忙しい中来てくれるOB、OGの人たちや他のカテゴリーのコーチ。
こんなにも恵まれた環境は当たり前じゃなくて、
必ず勝たなければいけないと思いました。
試合は7-10。
人生の中で1番悔しかったです。
ボックスに戻って、泣いてしまいそうだから誰の顔も見れなかったけど、奥村さんのほうを見たらボロ泣きしてて、それを見た瞬間にめっちゃ泣きました。
試合後、卒業した先輩や試合を見に来てくれた友人、家族が声をかけてくれて、
改めて、この4年間の中でどれだけ人に恵まれてて、
どれだけの人に助けられてきたかを実感しました。
それと同時に、日本一という結果で恩返しできない自分に不甲斐なさも感じました。
それほど、「日本一」というのは難しいものだと身に沁みてわかりました。
この4年間を通して伝えたいことは1つです。
「継続すること。」
これだけです。
ラクロスが上手くなる1番の方法として、1番の近道でもありながら、1番難しいことです。
決起ブログでも書きましたが、今ラクロスができている環境は当たり前ではありません。
日本一を目指せる環境も1部に所属しているからです。
ウエイトやシュー練、壁当て、素振り、シャドーなど。
やれることは全部やりましょう。
そして、自分の敵は大体自分です。
(漫画からの引用です。知りたい人がいたら連絡ください。)
練習で疲れたからシュー練、壁当てをしない。
眠いから今日はウエイトやめる。
そんな日本一という目標から遠ざける行動を引き起こすのは自分です。
日々のモチベーションに左右されず、常に日本一という目標から逆算してやるべきことを継続してください。
みんなならできると思います。

この場を借りて、感謝を言わせてください。
【同期】
4年間一緒に成長して、戦ってくれてありがとう。
個性豊かで、みんなと練習後にご飯食べたり、クラブハウスでだらだらしたりするのが楽しかったです。
FINAL4の景色はほんとに日体にしか創れない景色だったと思うし、結果は負けちゃったけど、まずは4年間頑張った自分たちを褒めよう。
みんなありがとう。
特に寺内。
日本一の主将にできなくて申し訳ない。
早稲田戦で点を取った時、1番に喜んでくれたのは嬉しかった。
最後の1年は、主将としてたくさん悩ませてしまったけど、寺内のひと言一言がチームに伝染していって流石だなと思いました。
ゆっくり休んで、来年はコーチよろしくね。
【OF陣のみんな】
4年生が少ない中でついてきてくれてありがとう。
一橋戦後の最後の1ヶ月なんかは、みんながメキメキと成長する姿を見て勝手に嬉しくなってました。
まさきと倉持のゴール後のふざけたパフォーマンスが見れなくなるのは寂しいけど、3年生も2年生も立派なリーダーになれると思うから頑張ってね。
特にまさき、じゅんた、臼井、げんた、木村、
来年は君たちにかかってるからね。
自分たちを信じて戦ってください。
来年も、1GB、1ライド精神を忘れず、
ワクワクタイム期待してます。
【7番会の皆さん】
2年間、7番としてやってきましたが納得いく結果ではありませんでした。
皆さんのような活躍はできませんでしたが、最後に足掻けるくらいは成長したと思います。
7番を継いでくれる後輩も出てきてくれたので、来年に期待してください。
せな自信持ってやってね。
【駿太さん】
4年間ほんとにありがとうございました。
2年生の時のひよっこから、最後までお世話になりすぎました。
試合を重ねるたびに、リーグ戦無得点記録を数えられて腹立つ時もあったけど、ようやく点を取った時には1番喜んでくれて、やっぱり嬉しかったです。
4年になって味のあるゴールを見せられて良かったし、
これからは味のある人間になります。
クソお世話になりました。ありがとうございました。

【奥村さん】
こんなに何を考えてるかわからない人は出会ったことがありません。(悪口じゃないです。)
同時に、こんなに人として、ラクロス選手として尊敬できる人は初めてです。
僕は、奥村さんをたくさん悩ませてしまった人物の1人だと自負してます。
2年生の時のキックオフmtgで、「今、みなみのなかでゴールを決められるシュートは何本ある?」と言われて、「ないです。」と答えたのを覚えてますか?
今だったら自信を持って3本でも4本とでも言うことができます。
それも、ここまで一緒にやってきてくれた奥村さんのおかげです。ありがとうございました。
愛してます。
ごっくんでーす!
【たかやさん】
最後の集合で言われた言葉が嬉しすぎたので書かせてください。
「みなみってあんなに頼りになったっけ。」
さすがに嬉しすぎました。
入部した頃はこんなにも怖い人は見たことないほど怖かったのですが、今は普通に話せるくらいになりました。
これからも日体のみんなをいじめてください。
本当にありがとうございました。
【しゅうとさん】
しゅうとさん2年生からお世話になりました。
プレースタイルが似てたから、色々質問したり、教えてくれたり、僕のプレースタイルを作ったのはほぼしゅうとさんです。
2年前から続けてる、あの集合の時のあれが聞けなくなるのは寂しいけど、最後までクリアライドを筆頭に25nittaiを支えて下さりありがとうございました。
最高です。
【健志郎さん】
僕らが1年生の時は、ほんとに話しかけづらい人としか思ってなかったですが、今は勝手に、友達みたいな感覚を持ってます。
点を取れなかったらそれ以外に活躍してるからと言ってくれたり、点を取ったら喜んでくれる。
僕らがいなくなると寂しいと言ってくれるほど日体が大好きなんだと感じました。
これからも日体のコーチとして後輩たちに大きな背中を見せ続けてください。
ありがとうございました。
【凜さん】
2年生の時は先輩として、
去年と今年はコーチとしてたくさんお世話になりました。
凜さんのだる絡みも、奥村さんや健志郎さんがいない時のOFを仕切る必死な凜さんも、見れなくなると思うと寂しいです。
また会った時に感謝は伝えようと思うのでこの辺にしときます。
左ニキ+濱あゆとでご飯行きましょうね。
(たぶん、左ニキの中で僕が1番点取りました。ご褒美ください。)
【そうたろうさん】
2年生の頃はついていくのがやっとでしたが、4年になってラクロスについて対等に話せることが楽しかったです。
A1前に肋骨にひびが入って、ボックスに入れるかどうかで話した時に、すぐに入れると言ってくれた時は、めっちゃ嬉しかったのを覚えています。
最後までボックスに入れ続けて、信じてくださりありがとうございました。
お世話になった分、日本一という結果で恩返しできなかったのはほんとに悔しいけど、またどこかで一緒にラクロスしたいです。
家近いのでご飯もいきましょうね。
【井村さん】
この人は欠かせません。
ほぼ僕の恩師です。
FINAL4でマシンガンパフォできませんでした。
すみません。
根津とボックスで暴れてた時を思い出すと懐かしいですが、もうあの時の僕はいません。
また、AIに質問するようなLINE送りますね。笑
ありがとうございました。
最後に。
ここまで読んでくださった方はもうお気づきかと思いますが、僕は"日体"というチームが大好きです。
なぜなら、
このチームは、"愛" で溢れています。
日体で戦う意味があるし、
日体で日本一を取ることに意味があると、
この4年間のラクロス人生で思いました。
それは、この日体というチームを愛しているし、
選手もスタッフもコーチ陣も愛しているからです。
これが伝われば、4年間に意味があったと初めて言えます。
ここからは、いちOBとして。
「日体がラクロス界のスタンダードになる」
ことに期待して、
4年間のラクロス人生を終わります。
お世話になりました。
明日は体力が無尽蔵で、
よく何十連勤もしている優秀な副将のTR節田くんです。


