試合終了1秒前。点差は3点。
エースが最後にボールを持つ。
僕からでた言葉は『(シュートを)打て!!!』
考えてでた言葉ではなく、心の奥底からでた言葉だった。
隣のゆうやさん(AC)も同じように叫んでいた。
僕ら2人はどちらかというとロジカルなタイプなのに。
あと1秒後にこの子達の4年間が終わる。
それでも、最後の1秒までこのチームで戦い抜きたくて、勝つことを諦めたくなくて。
まだ終わらないでくれ。もう1点決めてくれ。
そう願っていた。
次の瞬間、試合が終わった。
7-10で負け。
25NITTAIの終わりだ。
『もう負けたくない。』
わかってはいるけど、その想いが溢れる時はいつだって負けた後。
その時に味わう絶望と喪失感は何度経験しても耐え難いものがある。
普通に生きてたら日が経つごとに、その感覚は忘れていき、気づいたらまた弱い自分に戻っている。
どれだけ悔しくても時間とともに風化していく。
HC3シーズン目。
また負けてから気付かされた。
改めて、25シーズンでHCを務めていました後藤駿太です。
いつも応援いただいている皆さん、本当にありがとうございます。
元々今シーズンは全学決勝の日にブログを出す予定でした。
負けたから書く予定はなかったのですが、あまりにも4年生のブログが良かったので、その想いに少しでも応えられたらと思い書くことにしました。
チームを勝利に導けなかったコーチに何が伝えられるのかと思いますが、誰かに届けばいいと思ってます。

3年前(2022年)の11月。
入れ替え戦になんとか勝利し、日体大は一部の舞台で翌年も戦えることが決まった。
TOPチームのシーズンが終わり、残すはウィンターのみという中、当時の1年生の実力のなさに絶望した。
数年後また入れ替え戦にいくかもしれない、、、
そう感じた。それが今年の4年生との出会い。
『育成失敗の代』彼らはそう呼ばれていた。
(個人的には失敗という言葉は大嫌いだが、、)
2023年からHCを任せてもらうことになった。
チームの日本一を目指すのと同時に未来への投資として育成環境を構築することもHCの使命だと思い、育成の環境をガラッと変えた。それを実行するために翔太さんを育成コーチに招いた。
育成の仕組みや体制が変わり、その代からは関東ユースが6人排出された。
そして2024年のTOPチームのボックスの半数近くは2年生(現3年生)になった。
同じく2024年には20年ぶりにサマー優勝も果たした。(現2年生)
23,24年を結果から判断すると育成には成功したという話になる。
そんな中25シーズンが始まり、育成失敗と言われていた代が4年生になる。
その時に感じていたのは、3年生以下が"自分たちの代”でとか、来年、日本一になれればいいと考えるようなチームになったら絶対に勝てないということ。
一方で、シーズン当初の4年生のことを信じていた後輩も少ないだろう。
だから今のままいけば後輩たちは必ずそう思ってしまう。
25シーズンが始まり、チームの方向性を決めようとしても4年生の中でさえ、意見が全然まとまらないし、自分勝手な意見も散見される。
先頭を立とうとしている幹部を批判するような声が聞こえる時もあった。
だから最初の学年MTGでは、
『もし日本一になる覚悟がないのであれば、今すぐに引退して、3年生に代替わりしなさい』と伝えた。
日本一になる覚悟とは、現在の自分たちのマインド、実力では到底届かないところにある目標に対し、自分が持っている時間も労力も全てを注ぐことだと思っている。
話し合った結果、4年生は自分たちの代でも日本一を目指したい。そのために自分たちがまず変わると約束をして、シーズンがはじまった。
そこからも紆余曲折あったり、様々なストーリーがあるが書ききれないので省きます。
(3月の学年MTGは忘れない。のりたかが勇気を出して発言しなかったらチームは崩壊していたかもね。)

残りはこのシーズンから学んだこと、みんなが証明してくれたことを書こうと思う。
それは『どんな人でも未来の“生き方”は常に選べる』ということ。
生き方というのは、、、
『人生のあり方、生活の仕方、態度などを意味します。具体的には、日々の選択や行動、価値観、独自の人生観などを通じて、自分自身の人生をどのように送るかということです。』
今まで育成失敗の代と言われたから、、、
その言葉通りに生きるのもよし。
過去の自分にとらわれず、仲間と志を持って、大志に挑戦する。
そんな生き方もよし。
眠い日に寝るのもよし。
それでも目標達成のために踏ん張る。努力を継続することも良し。
勝っている時だけ盛り上がるのもよし。
本当に試されているのは負けている時、劣勢の時。
苦しい時に何ができるかが勝負という話を何度もしてきた。
とにかく、その瞬間その瞬間、どんな生き方をみんなはするのか。
その生き方に沿った、チームにしかならない。
代替わりしたばかりの時の生き方では誰の心も動かせず、結果もでない。そんなチームになってしまう。
シーズンが終わって振り返れば、
今年の4年生には素晴らしい『生き方』を見せてもらった。
そんな我々の生き方を体現したのがファイナル4だったと思う。
前半で2-8の6点差。
正直焦ったし、絶望したよ。
後半、みんな戦えるかな。走り続けられるかなと心配だった。
でもハーフタイムで全員に問いかけ、全員の目を見た瞬間。
このチームはまだ死んでないなと思った。
勝つか負けるかは結果の世界なので、わからないけど、残りの30分間。
とにかく日体らしく生きようというメッセージをみんなには伝えた。
(日体らしくで全てが伝わるチームだったね。)
僕が声をかけたのはグラウンドにいたメンバーだけだったけど、その想いは絶対にスタンドにいたメンバーにも届いていたと思う。
大井が満員になるくらいの観客。
部員数80人しかいないのに、家族は140名の来場。
日体の歴史を築いてきたたくさんのOBの姿、他大なのに最前線で応援してくれる学生。
そして、どんな状況でも声を出し、グラウンドにいるメンバーを何度だって奮い立たせてくれた応援。
負けたチームの言葉であり、負け惜しみでしかないけど、
これが日体にしか創れないスタンドだったと思う。
そんなスタンドにしてくれたみんなは本当に立派だったと思う。



みんなの生き方がまさに修練された瞬間だった。
その生き方を1年間、背中で見せ続けたのは主将の寺内。
早稲田に負けた後の挨拶が終わると、スタンドから寺内コールが沸き起こった。
その瞬間は涙が止まらなかった。

1年前、主将はやりたくないと言われたことを思い出した。
でも僕は寺内しか主将はいないと思っていた。
それは(2年生からの)寺内の生き方がずっと好きだったし、その生き方に25NITTAIの未来を賭けてみたかった。
やっぱり君に任せて良かった。
どれだけ孤立しようがやり切ったね。
上手くいかない時でもビジョンが大事だと周りに言い続けている寺内は本当に立派だった。
日本一の主将にできなくて本当にごめん。
立教戦の後に寺内が駿太さんを日本一の漢にしたいと言ってくれたのがすごく嬉しかった。

負けたら意味がないなんて分かってる。
でもやっぱりビジョンを体現して勝ちたい。
じゃないと人の心は動かせない。
試合後に言ったことは心からの言葉。
俺は日体で勝ちたい。この思想を持って、勝利に導く責任がある。
生き方にこだわり、その生き方が具現化されている、プレーを届けよう。
スタンドを創ろう。
そして勝利の瞬間を1人でも多くの人と喜び、その瞬間がまた別の誰かの生き方を変える。
そんなチームであり続けたい。
育成失敗の代と呼ばれた4年生がそれを教えてくれました。
みんなが僕にとってのHEROです。
まじでお疲れ。よく頑張った。


HC 後藤 駿太

