こんにちわ
青色大好き新4年 箕輪光輝です。
今日は名前だけでも覚えて帰ってください。
普段はふざけてばっかな自分のことについてお話しします。
文章をまとめる能力が乏しく少し長くなるかもしれませんが、最長老ということでお許しください。
自分はみんなとは約2ヶ月遅れて西脇くんとともにラクロス部に入部しました。
「こんなのボール持ってゴールまで突っ走れば簡単に点取れるし、そこに俺らの身体能力が加われば日本代表なんて簡単だな」
という軽い気持ちで、競技についても詳しく知らずに入部したのがきっかけです。
そんなことを言いながら2人ともロングを持ってゴールを守る立場にいます。点が取れません。
同期はみんな上手い人ばかりで、追いつけるか不安でしかありませんでした。
2ヶ月の差をRegainしなければ…
グランドに出て自主練しようとしてもみんないる
差縮めらんないやん。
みんなラクロス大好きすぎ!!!
なんて思ってたあの時期が懐かしい
あぁ、もう懐かしいと思ってしまうなんて…
1年の頃、4年生だった治武佑太郎さん
こう書いて Mr.クロスワーク と読む、変わった名前の方。
人間性なども含め最も尊敬している選手です。
彼は大きな怪我により自分たち1年生を育成するという立場にある方でした。
そんなMr.クロスワークの代名詞といえば、現代の科学では証明できないような、わけのわからないグラボ(ボールを拾うこと)。
それを目にしてしまったあの日から
「自分もこんな風にボールが拾いたい!」
と強く思い、ロングを持ってからは彼の真似ばかり
壁当てしてる姿を横で見ながら、勝手に真似しては失敗し、また横見て観察 の繰り返し。
何をするにも
「今のどうやってやるんですか?!」
と尻尾を振って質問する自分に対し
「こんなのやらなくていいから他の練習しろお前は」
とか言いながらさりげなく教えてくれるツンデレ。
ひたすらに彼の背中を追いかけ、同じ背番号を纏い、クロスをぶん回すグラボをひたすら練習していました。
しかし周りには
「普通に拾え」
「すぐにやめろ」
「お前は治武さんじゃない」
と認められることは一切なく、自分のグラボは否定される日々。
自分の中では
かっこいいじゃん、拾えればいいじゃん
とムキになることもありました。
しかしそれと同時に批判ばかりでとても辛かったです。
でも当時の自分にはこれしかなかった。
ロングを持ってるのに体は強くない
そしたら自分の持ってるちょっとの器用さと足の速さを活かせないかと思いたどり着いた結果がこれだったのです。
今思えば 何してんだ!と言いたくなりますが、自分のプレースタイルにラクロスの楽しさを見出せるようになったのもまた事実で。。。
そんな自分の師匠・治武さんが引退したとき
「リーグ戦に出られないこんな呪われた背番号は誰にもつけさせたくない」
と涙ながらに話していました。
その言葉を聞いて
「9番は呪われてなんかいない、俺が教わったプレーで証明してやる」
それがしつこい自分に対し、たくさんのことを教えてくれた治武さんにできる恩返しでもあると思う。
彼には私のプレーを自分と重ねて見てほしい。
彼の立てなかった舞台で、彼の想いと共に戦いたい。
引退まで残り1年ちょっと、自分にできることはやはりグラボを拾うこと
誰になんと言われようと3年間をグラボに捧げてきた自分にはそれしかないのです。
ただ、自己満で拾っていた頃とは違い
チームのためにボールを拾う
ということを知ってしまいました。
誰かのため、何かのためにボールを拾うことを知ってしまった自分は、控えめに言ってとても強いです。
誰かのために、チームのために拾えるなら喜んで拾わせていただきます。
拾ったボールがチームの得点になるのならどんな状況でも死に物狂いでオフェンスに繋げてやる
それが私のグランドに立つ意味だと思うから。
「落ちてるボールは全部拾ってやる」
くらいの気持ちを持って
「ボールが落ちればあいつが取りに来てくれるぞ」
という安心感と存在感を遺憾無く発揮できるような、そんな選手になります。
グラボに目を輝かせ、無邪気な犬を彷彿させるようなプレーにご期待ください。わん。
ただ 身体能力が高いやつ
で終わらせたくない。
身体能力も高いやつ
って言わせたい。
練習があるから
と言って遊びの誘いを断ってきた友人たち
明日朝練なんで…
と言っていつも早上がりさせてくれたバイト先や迷惑をかけたバイト仲間に合わせる顔がなくなるのは嫌だから。
何より感謝しきれない両親に不甲斐ない結果だったことを知らせるのはもっと嫌。
みんなに
あいつがあれほど熱中してたラクロスはこんなもんか
なんて思われたくない。
日本一になって、携わってくれた人たちに良い結果報告を。
グランド上で自分の名前のようにまばゆく光輝いて、チームの勝利に貢献します。
ALL SKOOP(ㅇㅂㅇ)
LSM 青いイナズマ
箕輪光輝