ラクロス部に入部して、引退するまでの時間経過の感じ方は人それぞれ違うはず。
楽しい時間が短く感じる。
苦しい時間が長く感じる。
この定理で図るのであれば、私は後者。
それは、一緒にラクロスをしてきた人なら知ってるよね。
では何故、自分にとってラクロスが苦の時間であったか。
理由は明白。下手だったから。
「スポーツを本当の意味で楽しむには、ある程度の強さが必要である」
あらゆる競技から得られる快感の一つとして、勝利を重ね、稀に敗北し、改善し、勝利することだと思っている。
しかし、その快感を得るためには勝利をもぎ取るための基礎力が必要となるわけで。
私には、それがなかった。
では、私がラクロスをしている時間は無駄だったのか、と問われれば、それは違う。
日が昇る前に起床し、ヘルメットを被って、クロスを持っていた時間は、私の生涯において最も価値のある時間となった。
それは何故か――。
今年度、コロナの影響で三月からしばらくの間、活動自粛を余儀なくされた。
練習がまともにできない日々。良いように捉えるならば、自分と向き合う時間ができた。
このまま引退して、私は何者になるのか。
なりたい自分になれるのか。
本気で考えた。
……そもそも、なりたい自分って何なのか。悶々悶々……。
長い間考えて続けて、やっと編み出した答えが
「なりたい自分=やりたいこと=好きなこと=夢」
長い時間考えて、ようやく編み出した答えが「夢」。
ありきたり過ぎて笑える。
「夢を叶えるためには」
「なりたい自分になるためには」
子どもでも思い付きそうな発想を、大人の目線で、現実を見ながら考えた。
また、悶々悶々と……。
まず、『できる』『できない』という概念を取っ払った。
現状を知る必要はないと思ったから。
『できない』は『だから』で繋がり、『やらない』へと変わる。
だから、『できない』ではなく、『どうすればできるか』を考えるようにした。
そうすると、大体のことが『できる』と『できるけど、疲れる』へと変わった。
『疲れ』は大きく分けて「肉体的」と「精神的」があると仮定して……。
肉体的疲労は寝れば治る(貴也さんに怒られそうな解釈)。では、精神的なものはどう処理すればいいのか。
自論だが、精神的疲労は自らで作り出していることがほとんどだと思った。
ここが限界ラインです。と、自分で勝手に線を引いてしまっているだけではないか。
そして、その線引きは大抵の場合、言葉やネガティブな感情から影響を受けている。
なら、対策は簡単。
ネガティブな言葉を発することをやめれば良い。
多分、気付いている人もいたかもしれないが、私はある時期から「疲れた」という言葉を口に出さないようにしていた。
不意に出たときは即座に自分の発言を撤回するようにしていた。
馬鹿みたいに「疲れた」と言った後に「嘘。疲れてない」という具合に。
しかし、それでも精神的疲労というのは生み出されるもので、時に参ることもあった。
では、タフになればいいのでは。
体力があれば肉体的疲労も軽減できるのと同じで、心を強化すればきっと参ることもなくなる。そう考えた。
心を強くするには、どうすれば良いか。
…………悶々。
心を強くする必要はないのでは?
なぜなら、「好きなことをしている時が、時間を忘れるほどに夢中になれるから」
そこに精神的疲労はないのでは?
もし、辛いと思っているなら、何かしらの問題があると思った。
何をするにも、嫌なこと、苦手なこと、面倒なことをやらねばならないときがある。
しかし、それすらも、「なりたい自分」になるためなら、「夢を叶えるため」にしていることならば、多少の疲れはあったとしても、苦痛に感じることはないのではないだろうか。
結論が矛盾しているようだが、私にはそれがスッと落ちてきた。
ラクロスに置き換えたって、それは同じ。
「環境が」。「金が」。「親がそう言ってるから」。「他に夢が見つかって……」。
そう言ってラクロス部を去って行った仲間を多く見てきた。今の自分たちの代では、特に多かったと思う。
私は当事者ではないから、詳しい事情までは分からない。本当にやむを得ない状況だった人もいたはず。
しかし、私は。私の場合は――
逃げ出そうとする自分自身を肯定して、ラクロスに打ち込むことを辞めれば、今後、夢に向かう途中で挫折した時に、同じように逃げ出すようになる。
そう思えてならなかった。
多分、卓球のチョレイ……じゃなかった。張本選手に関しても同じようなことが言えると思う。
彼が卓球も出来て、勉強もできるのは、卓球で「どのように」、「どのくらい」、「何をすれば勝てるか」が分かっているから。それと同じことを勉強でもやっているだけ。
要するに、勝ち方が分かっている。
こんなに長々と書いて、私が言いたいこと。
『なんとなく大人に成るな』
私は私の自分勝手な夢を叶えたい。
どうしても。
何があっても。
誰に何を言われようとも。
だから、私はラクロスを続けてきた。
理由はどうであれ、ね。
特別大会優勝を本気で目指して、真剣に続けてきたからこそ、敗退してもなお、出場時間五分でもなお、私は自信に満ち溢れている。
――きっと私は、成功できる。
……今まで言いたいことを散々に書いてきたが、勘違いしてほしくないのは、私はラクロスは苦手だが、ラクロス部は本当に大好きだということ。
俺みたいな未熟な人間を受け入れてくれた。支えてくれた。愛してくれた。
心から感謝している。
人として成長させてくれたコーチ陣。
期待をしてくれた先輩。
若干生意気だけど、親しみやすい後輩。
頼りがいのある同期。
家族のような暖かさをくれた定食屋たぬきと二子玉川商店街の皆様。
いつも味方でいてくれた両親。
感謝を挙げればキリがない。
我が半生に関わった全ての人たちに感謝を。
この環境に自分がいたからこそ、私はこれからの道を見出すことができた。
強いての心残りがあるとするなら、二つ。
貴也さんにたぬきを食べさせていないこと。(貴也さん。俺が太った理由はたぬきにあります。ご飯が止まらないんです。)
そして
主将が自らのクロスを折る姿を見れていないこと。
それは、きっと主将がこれからもラクロスを続けることの裏付けなんだと勝手に期待している。(変なプレッシャーかけてたらごめんね。)
さて、言いたいことを全て言ったので、最後に私が今までで感銘を受けた言葉を添えて、ブログを終えようと思います。
こんな長い文を読んでくれて、ありがとうございました。
――――チョレイ!!
『挑む者だけに勝敗という導(しるべ)とその莫大な経験値を得る権利がある。
今日、敗者の君たちよ。
――明日は何者になる?』
#6 G 山崎智音