日頃より日本体育大学男子ラクロス部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
今年度も沢山の応援本当にありがとうございました。
背番号21番、副主将兼OFリーダーの吉野僚悟です。
4年間の大学ラクロス生活も終わり、引退ブログを書く時期になりました。
気づけばあっという間でした、
なんてことは無くてめちゃくちゃ長くて濃い4年間だったと思います。
どんなブログにしようか考えましたが、引退ブログとして残すならやっぱり僕の4年間だと思うので、4年間を振り返るブログにしようと思います。
「日本一」を夢見てラクロスを始めた未熟な僕が、
ファイナル4の舞台で走り回るようになるまでをまとめました。
少し長くなりますがどうかお付き合いください。

「最弱世代」
そう言われて僕たちのラクロス生活は最悪のスタートを切りました。
ただそう言われるのも納得してしまう程の実力でした。
パスはまともにできない、当然シュートも遅いし下手、
アジリティは遅いし体力もない。
練習試合で勝った記憶なんて無く、サマーは当然予選敗退、勝てる未来は全く見えませんでした。
そんな絶望のラクロス生活を送っている中、
上級生はリーグ戦全敗で入れ替え戦まで行ってしまいました。
隣で練習している姿を見てて、めちゃくちゃうまいと思っていた先輩でもリーグ戦は全く勝てないんだとさらに絶望しました。
ただ、入れ替え戦前の1か月は記憶に残る1か月でした。
各自のノルマを決めて全員がやり切る毎日。
上手い先輩たちでもあんなに努力するんだと知って、自分ももっと頑張ろうと思いました。
特に健志郎さんはマジでめっちゃ練習してた。
自分も一緒に頑張ろうと思ったけど当時の健志郎さんは話しかけにくすぎたから少し離れたところから健志郎さんの壁あてを見てフォームを真似しながら壁あてしてました。笑
そんな1か月を超えて入れ替え戦は見事勝利。
1部の舞台は守られました。
先輩たちは強くなったが、僕たち1年生は相変わらず弱いままでその後のウィンターはあっさり予選で負けた。
ほんとに情けないなと思った。
そんな時に、当時育成コーチをしていたこうようさんにこんな提案をされました。
「俺は1日5キロ走るからお前は1日1000回壁あてしろ」
これをやったところでうまくなる保証なんて無かったが、とにかくやってみようと思ってやり切ると約束しました。
そこから未来と一緒に毎日壁あてをする生活が始まりました。(未来ありがとう)
まじで毎日やりました。
クリスマスも年末年始も関係ないです。頭おかしいですね。
そこからは真っ暗だったラクロス生活も、不思議と明るくなってきました。
とりあえずやってみるって大事ですね。
23シーズンが始まり、最初のチーム分けで育成枠だけどトップチームに呼んでもらえて、しばらく活動しました。
そしてあすなろでは運要素が大きすぎたが準優勝もできました。
このタイミングでみなみはトップチームに呼ばれて、
僕はインパクトに落ちました。
そこから頑張ってもうまくいかない日々が夏ぐらいまで続きました。
そんな中、8月に"奥村さんと朝から夜まで丸1日一緒に生活する"というイベントが発生しました。
具体的な経緯とかその1日何をしたかは説明すると長くなるので省きます。気になる人は聞いてください。笑
その日をきっかけにラクロスを深く知りました。
それまでうまくいってなかったプレーもどんどん良くなっていきました。
そしてBリーグの最後の試合が終わってから、またトップチームに帯同することになりました。
やっと入れたトップチームでは、全然実力不足でみなみとの差は前より全然開いてました。
そしてトップチームは順調に勝ち進み、
日本一になりました。
僕はリーグ戦から全国大会含めて2回しかボックスに入れませんでした。
もちろん試合にも出られません。
同期や後輩のずみがボックスに入ってたり、
みなみや寺内、きいちが試合に出てるのを見てとても悔しかったです。
そしてA1前日にとんでもなく体調が悪くなり、先輩たちの引退試合を会場で見れずに長い23シーズンが終わりました。
その時引退して背番号をいただいたそうたろうさんのブログにはこんなことが書いてありました。
「上も裏も全部できる最強のATになってください」
本人はそんなに深い意味を込めてなかったかもしれないけど、僕はかなり影響されて"こんなプレイヤーになろう"と思い、その後の2年間ずっとこの言葉を意識していました。

そして24シーズンが始まりました。
最初は主力としてたくさん試合に出れるようになって、
きっと楽しいんだろうなと思ってました。
実際は真逆。
試合に60分間出場しているのにもかかわらず、全く活躍できない地獄の日々が続きました。
何月か忘れましたが練習試合で早稲田に勝った時、
奥村さんに「りょうごが活躍すればあと5点取れる」って言われたこともありました。
それだけ自分がチームに貢献出来ていないってことでした。
春の最強決定戦3位決定戦で負けた時も2年生が活躍している中自分は何もできませんでした。
そして試合後にラクロス生活で初めてめっちゃ泣きました。
リーグ戦でも変わらず活躍できない期間が続きました。
それでも自主練はやり続けました。
ラクロスの成長曲線は必ずしもまっすぐではなく、ちゃんと考えて、頼れる人は頼って、やり続ければいつかきっと爆発的に伸びる瞬間は来るとそれまでの2年間を通して知っていたから。
そしたら9月頃に何か掴んだものがあり、やっとうまくなれて試合で活躍できるようになりました。
武蔵戦は思い出の試合です。
それでも慶應には全然勝てずに短い24シーズンが終わってしまいました。

そして自分たちも最上級生となり、新チームMTGが始まりました。
最初は、
「日本一は目指せない」
「後輩の日本一のために早く世代交代した方が良い」
なんてことを言われることもありました。
それでもこのチームで「日本一」を目指すと決めた。
僕は副主将になった。
寺内がとにかくビジョン、スローガンに結び付けた発信をする分、自分はグラウンド面でとにかく勝ちに貢献すると決めて始めました。
正直な話、そうは言ったものの全然自信はありませんでした。
僕は人に強く求めるとか、練習中に自分のプレーに加えて周りを見ながら勝ちのための要素を見つけて発信をするなんてことは1番苦手なことだったから。
それでも日本一になりたかったらやるしかないと思った。
最初は全くうまくいかなかったです。
覚悟も全然足りてなくて、全部が中途半端でした。
そんな中2月の東大との練習試合。
僕はその時怪我をしていて試合に出れず、かといってボックスでも大した貢献はできずに大差で負けました。
副主将なのにプレーでもリーダーとしても全くチームに貢献できていない自分が情けなくて、悔しくて試合後にラクロス生活で2回目の大泣きをしました。
この時は最初に決めたグラウンド面で貢献するという副主将としての姿にも全く自信が持てず、自分の存在価値がわからなくなっていました。
そこからもそう簡単に上手くはいかず、
春の最強決定戦が始まり予選の1試合目は引き分け、2試合目は負けと悪い流れは続きました。
その時のチーム状況はどこか来年以降を意識してしまっていたり、今年は厳しいのではないかという雰囲気が流れていたなと思います。
そんなときにがんぽんさんがチームに対してかけてくれた「目の前の1球にこだわる姿勢と日本一の行動の積み重ねをしろ」という言葉をきっかけにチームは変わり始めたと思います。
自分自身も変わろうと思った内の1人で、
その時に決めたことは、
「誰よりも練習してうまくなる。圧倒的な1プレイヤーになる」
言葉だけ見たらラクロスプレイヤーであれば当たり前で全然特別なことではないかもしれないが、
自分がうまくなって圧倒的な活躍を見せることで勝ちのイメージをつけ、後輩たちが安心してついていきたいと思ってもらえる4年生であることが日体にとっては大きな意味を持つことだと思って、とにかくうまくなろうと努力しました。
そこから最強決定戦残りの3試合は毎試合8点9点取れるオフェンスができていきました。
自分自身もプレイヤーとして毎試合3点4点取れる選手になれて、目指していた状態に近づいていきました。
そこからは良い流れが続き慶應、早稲田、明学を倒し春の最強決定戦優勝。
優勝する経験なんてなかったから素直にめっちゃ嬉しかった。

それでも慢心することなんてなく、
本番のリーグ戦に向けて最大の準備をした。
そしてついに始まった最後のリーグ戦は黒星スタート。
2戦目は勝利したものの大きく課題が残る試合だった。
そこからの1か月はほんとにきつかった。
オフェンスが課題の中で、コーチやディフェンスメンバーからは色々と求められたし、きつい言葉もたくさんかけられました。
色々言われるけどそんなの全部わかってて、
でもうまくいかない。そんな毎日でした。
副主将としての在り方も考えさせられる期間でした。
プレイヤーとしては良いかもしれないが、副主将としてはずっと中途半端だった自分に寺内は向き合ってくれました。
その日をきっかけとして、最初副主将になったときに考えていた"グラウンド面でとにかく勝ちに貢献する"ということに改めて責任を持とうと決めた。
そんな1か月を超えて迎えた法政戦では7-3
ちゃんと勝てた。
課題だったオフェンスも見違えるほどに成長した。
立教戦も勝って一橋は負けたけど何とかファイル4進出が決定した。
最弱世代もここまで来ました。
それでも日本一を目指す僕たちにとっては通過点。
ファイナル4という舞台に出場できることに感謝しながら必死に準備しました。
そうして迎えた早稲田戦。
ずっとスタンドから見ていた場所にやっと立つことができることが何より嬉しかった。
そして、グラウンドに入って見たスタンドの景色に感動した。
大井の端っこの上まで人がいる光景なんて初めて見たし、1番前の席は他大とか女ラクで埋まっててそんなことあるんだって思った。
1年生の頃の自分達からは想像もしていなかった光景を見て、スタメン紹介の時に1人で感動してた。
ファイナル4の壁は高く試合は7-10で負け。
悔しかったな。
でも試合の60分間、試合までの過程含めてやり残したこととか後悔は1ミリもなくて、
やり切ったと自信をもって言えるからあんまり泣けなかった。
みんなはめっちゃ泣いてたし、コーチがあんなに泣いてるところは初めて見ました。
振り返ってみると4年間はしんどいことばっかだったなと感じています。
でも1つのことに4年間を捧げて
時には涙も流せるほど感情が動く経験なんて、普通の大学生では絶対に経験できないことです。
僕はこの道を選んで本当に良かったなと思います。

25シーズンを通して、僕の中で副主将としての2つのこだわりと在り方ができました。
1つ目は「最強であること」
最終的に日本一にはなれなかったので成し遂げることはできていませんが、僕はチームのエースであり、精神的支柱であるとも思っています。
どんなに困難な状況でも打開できる実力、
どんな状況でも落ち着いて冷静に対応する。
そんな安心してついていける、困ったときに任せられる存在がいることでチームのまとまりを作ることができると思っています。
だからこそいつも最強であることこそが、自分の副主将としての在り方だと思っています。
2つ目は「チームが勝つための責任を持つこと」
最強であることだけではただのエースプレイヤーで終わってしまいます。
そうではなくて、オフェンス、ディフェンス、クリアライド、フェイスオフ、全てに目を向け、負ける要素を減らし、勝ちの要因を増やしていく。
この役割が自分だと思っています。
そのための週1の振り返りMTG。
コーチが提案してくれて始まったものですが、最終的には自分なりにこのMTGにはこだわりを持って取り組めていたと思います。各ポジションの1週間の評価をあぶりだし次の1週間につなげる、それをメニューに落とし込む。
このサイクルを責任もって回し、ちゃんとチームを強くする。
これが2つ目の在り方です。
この2つを掛け合わせることが、自分にしかない副主将の姿なのだと25シーズンを通して学びました。
そして最後、ファイナル4の4Qで僕を信じてボールを集めてくれるようになったみんなを見て、自分のこだわりややってきたことは間違ってなかったんだなと思いました。
長くなりましたがここからは後輩たちへ。
「1年生」
最初の頃は僕たちと一緒で練習試合あんま勝ててなかったけどちゃんとサマー優勝してて僕たちとは違うなと思いました。
これからきっと色々と苦しいこととか、辞めたくなる時とか、苦手なことをやらないといけない瞬間とかあると思うけど、それを乗り越えた先にはきっと最高の結果が待ってると思う。
まだまだ成長段階、選手もスタッフも、もっといろんなことにチャレンジして、良い意味で失敗して、未来の自分にワクワクしながら全力で4年しかない大学ラクロスをやり切ってほしい。
頑張れ。
「2年生」
本当に強さのある代だなと思ってる。
今度はその学年としての強さをチーム全体に広げて強い日体を作ってほしい。
来年からは上級生でチームを引っ張る立場。
きっとつらいこともあるだろうけど4年生を勝たせるためには3年生の力は本当に大切。
来年、そして再来年の日本一のために今から頑張ってほしい。
「3年生」
去年も今年も、みんなには沢山支えてもらいました。
ラスト1年、今まで結果がなかなか出なくて苦しんだことも多かっただろうけど、最後は笑って終われるように後悔のない1年間にしてほしい。
君たちは強いから自信もって頑張れ。
僕たちの代で成し遂げられなかった日本一は託します。
最後に感謝を伝えて終わります。
「同期」
色々とぶつかることもあったけど、みんなが仲間想いで、優しくて、誰かのために本気になれる。
そしてなんだかんだラクロスが好きだったからこそここまで良いチームになったのではないかなと思う。
この同期と一緒に作り上げた25日体を誇りに思います。
最後までみんなと一緒に戦えて幸せでした。
本当にありがとう。
「OFメンバー」
最後までついてきてくれてありがとう。
自分が点取ったら回り始めるまさきとか、つられて回る倉持とか、エキメン外れててもビデオで存在感出してくるせなを見れなくなるのは少し悲しいかな。
最後の1か月は本当に楽しかった。
基本的に生意気な人しかいなくていつもふざけてるけど試合になったら自分の言ったことを全部信じてまじめに実行してくれるところが好きでした。
今年の悔しさをバネにして来年は絶対日本一になってね。
「倉持」
25番好きなんですよねとか言いつつも21番継いでくれてありがとう。
あんなにリーグ戦でシュート本数を打てる2年生はどこの大学行ってもいないと思う。
でもまだリーグ戦無得点記録は継続中だからみなみの記録を超えないように頑張ってね。
最強のプレイヤーになって21番を日本一の番号にしてください。

「寺内」
誰よりも成長して、誰よりも成し遂げたいことに貪欲だった寺内がいたからこそ今のチームがあると思ってる。
副主将として不甲斐なかった自分にも沢山求めてくれてありがとう、おかげで変わることができました。
最後までかっこいい最高の主将でした。
「みなみ」
最後の1年はOFリーダーとして一緒にチームを引っ張っていってくれてありがとう。
2年生の時からプレーでは尊敬できることばかりで最後の1か月はうますぎてさすがでした。
1番頼れるプレイヤーでした、最後まで一緒にプレーできて本当に楽しかった。
「そうたろうさん」
日本一の21番にはなれませんでしたが、ちゃんと輝いた背番号だったのではないでしょうか。
そうたろうさんの引退ブログでの言葉は実はスクショして自分の目標として定期的に読み返してました。笑
副主将としても相談に乗ってくださることもあり、自分が4年になるまで沢山お世話になりました。
本当にありがとうございました。
「りんさん」
現役の時はあまり関わりがなかったですが、コーチになってから色んなことを話しましたね。
プレーのこともリーダーとしても、素直に全部相談できたのはりんさんでした。
2年間本当にありがとうございました。
「健志郎さん」
1年生の時は全く話しかけられませんでしたが、今はめちゃくちゃ話しやすいです。
コーチとして関わってくださる中でもどこか一緒に成長する同期のような感覚があり、プレーやそれ以外のことでも沢山支えてもらいました。
これからもコーチとして騒がしい後輩たちを支えていってください。
ありがとうございました。
「駿太さん」
2年生のひよっこ軍団にいた時から最後の最後まで本当に沢山お世話になりました。
いろんな場面で僕が成長するための機会や道を示してくれたおかげで自分だけでは考えなかったことまで考えることができたし、最後まで期待して、求め続けてくれたからこそ今の僕があると思っています。
僕をここまで成長させてくれてありがとうございました。
「奥村さん」
1番お世話になりました。
2年生の時に1日一緒に生活したあの日からここまで成長できました。
ラクロスのプレーも、リーダーとしても、人としても、アスリートとしても、すべてを奥村さんから学びました。
最後に日本一のコーチにしてあげられなかったことだけが後悔ですが、奥村さんと日本一を目指すことができてとっても楽しかったです。
愛の溢れる最高のコーチでした。
この4年間、素晴らしい仲間、先輩後輩、コーチに出会い、多くの人に支えられ、
最後には青に染まった日体にしか創れない景色の中で4年間を締めくくることができました。
結果としてもファイナル4。
決して満足はしていないが、
最弱世代と言われた自分たちも最強になる夢を目指すことができた。
そして後輩に託した方が良いとまで言われた25シーズンも今年にしか創れないチーム、
景色を見せることができ、多くの人の心を動かすことができた。
こんなにも貴重な経験をさせてくれた日体大ラクロス部に感謝です。
そして、1年生の頃の自分に伝えたい。
最高のラクロス生活だった。


