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2021

引退ブログ #4


こんにちは。


4年AT #4 梅原優太です。


まず初めに、平素より日本体育大学ラクロス部に関わっていただいている、OBOG保護者の方々にこの場を借りてお礼申し上げます。


また、コロナが流行り、少し制限がある中でも、佐保田さんや亀山先生、ここに挙げきることはできませんが、陰ながら日体ラクロスを応援してくださってる方々のおかげで伸び伸びとラクロスをすることができました。

本当にありがとうございました。






文章力に欠ける梅原優太のブログですが、死ぬほど濃い4年間を振り返り、伝えたいことも書いてありますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。







僕たちの4年間にはどれほどの価値があるか。






この言葉を念頭に置きながら、僕の4年間を振り返っていきます。






大学一年の頃、今考えてもこれと言った理由が出てこないのに、なぜかラクロスに惹かれて、気づいたら次の日入部してもないのに、4:30に起きて朝練に行き、その当時怪我していた先輩方とパスきゃする毎日が始まっていました。


同期の誰よりも早くラクロスにのめり込み、ちょっと悩んでる人たちを強引に勧誘してたのが懐かしいです笑


(大学初のお友達、大森陸生はその餌食でした。

4つ前の陸生のブログの一文が凄く嬉しかったので是非読んでみてください)







1.2年生の頃は、ただがむしゃらにラクロスに打ち込んでたのを覚えています。



関東で僕らの代の最強を決めるサマー、ウィンター、あすなろを全制覇することを目標に頑張ってました。


部としての結果はウィンターのみ優勝でしたが、あの時の同期と本気で喜びあった感情は今でも忘れられません。



そして、その3大会が行われると同時にユースに選ばれるか選ばれないかが決まるのです。



アメリカ遠征を経験できることに大きな憧れを抱いてた僕はバイトも入る日数を減らし、とにかくラクロスに時間を割いていました。



結果、なることができ、高い技術を持った色んな大学の仲間とラクロスをし、ラクロスの本場アメリカのの雰囲気を肌で感じ、今思うとラクロス人生の大きな分岐点だったのかもしれません。


(悠大、耕陽、昴、修吾は余裕で入れるのに対し僕はほんとに滑り込みでした笑)









3.4年はほんとうに濃くて、得るものが多い2年間でした。


まず3年の時はばんさん、あつやさん、けんたとOF幹部やってたくさんミーティングしてお二人の力になれてたかはわかりませんが、たくさん成長できました。

また、じゅんさん(本下純さん)は家庭もあり、お仕事も忙しい中、 OFコーチとして説得力しかない話し方で何から何まで教えていただきありがとうございました。



自分が3年の時ATは(ばんさん、修平さん、勝太さん、修吾、けんし)でやっていたけど、みんな上手かった。

でも、そのメンツの中でも試合のスタメンで出ることが僕のモチベーションで、負けたくなさすぎて、良い競争環境でラクロスできてました。


モチベーション今ないんだよねとか、全日が遠くて目標を見失いがちの人は、自分に勝つことはもちろんだけど、ライバルに負けないことを考えてみると近い存在だからこそ頑張らなきゃってなるからやってみてね







そして、最後の代4年生。




クラブハウスとかでいつも修吾とかじーじとかとふざけてばかりの僕。




プレーだけでも引っ張っていかなきゃと思ってた。




それができてたかできてないかは最後の立教戦、武蔵戦で少しは見せれたかな。












自分たちが4年間どれだけ練習してミーティングして勝つために時間を割いてきても負けは負け。




勝敗が決まるその瞬間に、価値が決まってしまうように感じる。





だって、次に進めないんだもん。





みんなとまた試合して笑って喜んで、点決まって叫ぶ、これができない。






スポーツってこんな世界。残酷だよね。






でも、ほんとは違うと思う。





その人がどれだけ努力してきたか、辛い思いして、ラクロスと向き合ってきて、仲間と支え合って、いろんな壁乗り越えてきたかは

結果とは別の大きすぎる価値として現れてると思う。







それは、



負けた時後輩が自分たちの試合のように泣いてくれること。


戦った相手とお互いを認め合い、スポーツマンとして尊敬し合うこと。


これまで一緒に自主練してきたラクロッサーから応援の言葉をもらえること。


いつも応援してくれてる人達に少しばかりの感動を与えれたこと。




他にも人それぞれあると思うけど、それはどれも今後消えることのない心に残る財産だと思う。



だから、勝敗が決まる時がいずれくるとしても、結果としてこれだけのものを得れるから、、現役ラクロッサーは"今"を死ぬ気で頑張ってほしい。







あと、感謝も忘れちゃいかんね。

こんな一生の財産を手に入れることができたのは色んな人のおかげ。


いつもグラウンドに早く来て準備して、終わっても僕達のために動いてくれたスタッフ。


日体のプレイヤー数名は気性が荒いから、ももことか審判してくれてる人に強くあたってたかもしれないけど、それでも俺らのために動いてくれてほんとにありがとう。感謝してる。




頼もしすぎたよ。





21nittaiのoffense コーチを引き受けてくれてくれたおっくん。


対個人やオンボール、アジリティには強みを持っていても脳筋だからオフェンスに深みがなかったのを豊富な経験と知識でより良くしてくれた。

俺らの出来が悪い時はちゃんと叱ってくれて、本当に良いコーチに出会えました。


これからもお世話になります!笑







そして、一番でかいのは同期、




大学4年間を一緒に過ごした。





練習終わったらシャワー浴びて、昼飯食べて、クラブハウスで昼寝して、ちょっとスマブラもして、そっからまた壁当てしたいつものルーティン。


なかむーにバリカンドッキリしたら血出てないのにめちゃ確認してめちゃ怒っちゃった名古屋遠征。


月曜夕練終わった後、しゅーとんちに、あんりょと2人で泊まりに行って毎週恒例のテラハ会。


いつも卍解とか言ってゆうきに攻撃してたマイメン会。

嬉しそうにするからたくさんやっちゃった笑


じーじのドュフフ。



一緒にいすぎて、あげきれないけど、どれもいい思い出。



みんなと少しでも一緒にラクロスしたかったから頑張ろうと思えた。





ほんとにありがとう。





これからもずっとよろしくね。






修吾


いつもパスキャしよーって言ってくれるし、練習中たまにゾーン入ってわけわからないけど

たくさん教えてくれるし、一年の時から2人だけずっとATでやってきて、3年の頃ホットライン作れて、毎試合1点は必ず取れて嬉しかったし、4年も一緒に頑張れたし、修吾の存在はかなり大きかったよ。


お互いラクロス人生続くけどこれからもよろしくね。








長く振り返ってしまいましたが、

最後に僕から伝えたいことがひとつだけあります。






『井の中の蛙になるな』







この言葉は日体コーチの水田さんが何年前かに言ってくれた言葉です。





この言葉をずっと意識してて、コロナが流行った時期にもこの言葉に何度も動かされました。





3年生の頃、コロナのせいで全く練習できない自粛期間が何ヶ月も続きました。




その時期は新歓期間も被っており、日体ラクロスに入ろうか迷ってる子がいると、じゅんさん(じゅんぽ)から連絡があったのです。




上の言葉に動かされた僕は、

家から少し遠い渋谷にも毎日朝練と同じ4:30に起き、じゅんさんと一緒にコーチとして一年生にラクロスを教え、その活動が広がり、他大学の一年生も参加し、自分も改めて成長できる場ができたのです。 


じゅんさんあの時はほんとお世話になりました。



もっと上手い人と練習してプレイヤーとして成長できる場を探して、1人で他大学に武者にも行った。



2年生の頃だけど、学連の広報委員会にも入っ

た。

入ったことで当たり前にできてる大会とか新人戦が当たり前じゃないことに気づけた。




なんか頭良さそうで仕事できそうで、自分もそうなりたくて、YouTube班にも自分から入らせてもらった。


蓋開けたらただの酒ヤクザだった笑

(やる時はやる人達です)

 


こうやって新しいコミュニティに入っていくことを簡単にできるのが、マイナースポーツであるラクロスの良い文化だと思う。



そうして、新しい世界に入っていくと色んな人がいていろんな考え、価値観を持った人がいる。



そんな人たちと繋がり、関わろうとすると



ラクロスのプレイヤーとしてもそう。


一人間としてもそう。


 


ものすごく成長できます。




その繋がりは学生の時だけじゃなくて社会人になった時も自分にとってプラスに働くと思う。



日体の子たちは陽キャそうにみえて意外と外に出ない小心者が多いから、怖がらず行動してみてください。



応援してるよ。



がにまろ頑張れよ。

スマブラ強くなっとけよ笑






最後に。



辛いことも多々あったけど



大学4年間を日本体育大学ラクロスに身を置き



価値ある一生の財産を手に入れることができて



ほんっとうに幸せだった!!



関わってくれたみんなありがとう!







fin.


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