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2020

引退ブログ#44福田修平



みなさんこんにちは。

今年度の特別大会の敗退を持ちまして、

20'日体4年生は引退となりました。

本日から4年生20名による引退ブログを更新させていただきます。

1人1人の4年間への熱い想いが綴られています。

是非、ご覧下さい。



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みなさんこんにちは!


日本体育大学4年 福田修平です。




引退ブログのスタートがお笑い担当の太郎や龍じゃなく、本当に僕でいいのかなーっと思っていますが、このブログを通じて4年間を振り返りながら真面目に書きたいと思います。少し長くなりそうですが読んで頂けたら嬉しいです。


まだインパクトの4年生たちは試合が残っているので、僕も完全に引退しているわけではないですが、練習に参加しなくなって2週間が経ちました。


そして練習に行かなくなって改めて気づきました。

僕の4年間の大学生活はラクロス一色だったなと。


写真を見て4年間を振り返ると一年生の頃に比べて体も見違えるように大きくなりました。

ブクブクにね。。。。




振り返れば、ラクロスに出会ったのは高校時代。


実力も足りず、肩の怪我もあり最後の夏にベンチに入ることができずに11年間続けてきた野球人生が終わりました。


もう肩も壊れて野球ができないし、これから野球以上に本気で情熱を注げる物に出会うことはないだろうなと思っていました。


そして大学生らしく勉強して遊んでバイトして、そのまま社会人になっていくんだろうなと考えながら日体大の推薦受験に向けて勉強していた頃に、面接練習でこんな質問がありました。


『大学に入ってやりたいことや、挑戦してみたいことはありますか?』


この質問をきっかけに、日体大の部活って何があるんだろうと思いました。体育大学だし、一般入学なんかで部活なんて入れないと思っていましたが、そんな時に偶然ある動画を見ました。



それが2015年に学生日本一になった時の阪大戦のハイライト動画と全日準決勝のスティーラーズ戦のハイライト動画でした。


ラクロスってちょーかっけー!と思ったのを今でも覚えています。


これがラクロスのラの字もない地元富山県でのラクロスとの出会いでした。(ちなみにそんな富山で現在、2017年度卒 おりさん 2019年度卒 筒井さんが働いているのがちょっと嬉しい笑)


そこからはラクロスの魅力に一気に惹かれ、このスポーツでならもう一度野球と同じように本気になれると思いました。そして野球の時に選手として活躍できなかった劣等感を払拭できると思いました。


そして春になり日体大に入学し、すぐにラクロス部に入部を決めました。保健医療学部で勉強は他の学部に比べ難しく、授業量も多い。先生たちは部活には入らないほうがいいと言ってたけど、それでもラクロスに挑戦したい気持ちが勝ちました。(引退して今は国試に向けて勉強していますが、合格できる気がしません笑)




この4年間のラクロスを一言で表すと『後悔』




なんというか、いつも上手くいっている時に限って悔しい思いをする4年間でした。


1年生の頃はそれなりに充実した1年間でした。サマーの頃から学年試合では中心選手として得点もでき、関東ユースにも候補生として選んで頂きました。つま恋でも光流さんや、よしきさんのおかげで得点でき、いいスタートができた1年間でした。


そして2年になり東海フェスのBチーム戦。後半の10分でハットトリックを決めることができました。その活躍を玄さんが見てくださり、育成枠でしたがAチームに選んで頂けました。



ここまではよかった。

この時に自分はこれから中心選手になっていけるんじゃないかと思いました。この小さな慢心が良くなかったと今でも後悔しています。


初めてのAチームでの練習は辛いものでした。

ミスをすれば集中砲火のように罵声を浴び、それにビビって萎縮して、ミスをしないように逃げのプレーをしていたことで自己嫌悪に陥りました。


その結果リーグ開幕直前にはボックスメンバーに選ばれずBチームに落とされました。

ここで一度腐ってしまったことが本当に良くなかった。本当に後悔。

そこからはズルズル引きずり自主練もサボりがち。そんな自分に神様が微笑んでくれるわけもなく、関東ユースも最終選考で落選しました。つま恋も腐っていた時の素行不良が響きBチーム。

本当に悔しかった。本当に悔しくてクラブハウスで泣いたのは忘れられません。


そんな時優しく声をかけてくれたのが1学年上の剛さんでした。同じファミリーでもないのにファミリー会に誘ってくださり、優しく励ましてくれました。(ここでの飲み会が後に語り継がれる釜〇〇事件)


そこからもう一度気持ちをリセットして本気で頑張ろうと思いました。


春のオープン戦ではBチームでの出場でしたが、結果を出してAチームに上がってやるという思いで毎試合エゴを押し切って点を取りました。その甲斐もあってまたAチームに昇格することができました。


ここから『今年は絶対リーグ戦に出てやる』 またやる気に満ち溢れていた時ある出来事がありました。




膝骨折。 全治3ヶ月でした。 



これが上昇気流に乗りかけた3年生のスタートでした。その1ヶ月程前に大樹さんが前十字靭帯断裂の怪我をしていたので、その時僕も思いました。



『今シーズン終わったな』


また上手くいきそうな時に苦い思いをしました。


結局コートに戻れたのはリーグ開幕直前の7月。当たり前のようにその年もリーグ戦に出場することは叶いませんでした。


リーグ戦を観戦しているときも素直に応援できませんでした。むしろ日本一を目指せる力があるにもかかわらず勝てなかったAチームを見て正直嬉しかった。今思えば本当に最低なやつでした。また怪我を機に腐ってました。


そして先輩たちは引退し、とうとう自分たちの代。

谷間の代と言われていた自分には『一部残留』が精一杯だと思ってました。



でも新チームの目標は『日本一』でした。


やるからには本気でやろうと思いました。


新チームになって必死に自分の長所を伸ばそうと練習しました。そして日々上手くなっている実感があったのは初めてでした。3年の秋〜冬で一気に『対個人』の力が伸び、1on1キャラを確立しました。(全てはFALのしげさんのおかげ!しげさんありがとうございました)


春のオープン戦で結果を出す自信がありました。

そんな時また目の前に壁が立ちはだかりました。


『コロナ自粛』


当たり前の日常が全て消え去りました。大好きなラクロスができない。大好きなチームメイトやクラスの友人に会えない。学校の授業すらまともに始まらない。一時はこのままリーグ戦が中止のまま引退を迎えると本気で思いました。


でもそんな時に周りにはリーグ戦が開催できるように、部活を再開できるようにと多くの大人たちが行動してくださいました。


改めて自分たちの力だけでは大好きなラクロスができないことを実感しました。


どうにか開催された特別大会のリーグ戦。

結果は1勝1敗の予選敗退。

優勝の目標は叶わず感謝の気持ちを形に仕切ることができませんでした。


早稲田や学習院のDFシステム上、自分の長所である『対個人力』を活かせる場面が少なく出場機会が少なかったので正直悔しい気持ちでいっぱいです。


でも最後の学習院戦の4Q。今まで一緒にATとして頑張ってきたバン、勝太と3人でセットを組めたことが本当に嬉しかった。一生の思い出です。


後悔が多い4年間でしたが最後にやってきたことは少なからず形にできたのかなと思います。




これが僕のラクロス部での4年間です。

本当に後悔でいっぱいの4年間でした。


だからこそ後輩に伝えたい。


上手くいかない。悔しいことばかり。そんな時でも腐らずに前を向いて自分を信じて努力をやめないでほしい。 


僕に足りなかったのは本当にこれだと思います。後輩のみんなには同じ思いをして欲しくないので、これからも前を向いて頑張って欲しいです。



『強い日体』を取り戻す夢は後輩のみんなに託します。


そして44番を託した夢生には本当に頑張って欲しい。



そして家族にラクロスをしている姿を見せられなかった後悔もあります。


ですがトップ選手になる夢もまだ諦めていません。


僕はこれからも社会人でラクロスを続けます!


この4年間自分を支えてくれた家族、部活ができる環境を作ってくださった亀山先生、コーチ陣の皆さん、チームメイト、地元に帰るといつも温かく迎えてくれる野球部の同期のみんなに感謝の言葉を送ります。



『この4年間本当にありがとうございました』



#44 AT 福田修平

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