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2021

引退ブログ #18



夢生から最高の言葉で紹介されました。


2021年度副主将を務めました、4年MF菅野哲也です。

(哲也さんってMFだったんですか?なんて思っても口に出さないでね)




はじめに、平素より日本体育大学男子ラクロス部にご支援・ご声援いただいてるOBOG並びに保護者の皆様、関わってくださったコーチの方々、コロナ禍において尽力していただいた部長にこの場を借りてお礼申し上げます。




書きたいことまとめるの下手だし、書くなら1年生から書きたいなって思ったので、めっちゃ長くて拙い文章になりますが、どうか最後まで読んでいただけると幸いです。







僕の大学生活は同期、お世話してくれた先輩、可愛い後輩たちのおかげでとても豊かで素晴らしいものでした。



大学1年の4月



社会人になると運動なんてできない、全力で動けるのは大学生までだろうと思ってた。


だから最後の学生生活、全力でやり抜くために部活というものに入ろうと思った。



しかも、この日体大という環境。


自分より運動神経がいい人ばかり集まる中で、


新しいスポーツで自分の限界に挑戦してみたかった。






これが僕がラクロス部に入部しようと思ったきっかけ。




入部するとバカみたいに騒いでるやつがいた。



優太だーーー



こういうバカみたいに熱くなれるやつが同期にいて、練習にも自主練にもみんな全力で、ライトが消えるまでみんなで壁当てして、シュー練して


だから、負けられなかったし負けたくなかった。




始めにB練上がったのは研太とかしゅーごとかだった気がする。

(研太のブログ見たら研太と昴だった、昴ごめん笑)


普通に悔しかったねー。





だから負けないくらい練習した。


パススピードだったり、パス精度、左右差のないクロスワーク、ミドルシュート


他より差をつけて他の一人より早くBに上がりたいと思って練習した。




結果的に他の人より早くB練参加できたし、Bリーグにも2試合出させてもらった。

(何もできなかったけどね!まつけんさんに1試合で2回ぶちぎられた)




同期のみんな上手いし、ラクロスに時間費やしてたからこそ上手くなろうと思えた。

(陸生はすぐ帰ってたけど)





サマーの予選敗退は悔しかった。



育成担当してくれたともやさんとそのひろさんに恩返しするために、みんなでウィンターに向けてオフの日も練習した。





結果はサマーで負けた早稲田にリベンジして優勝。




人生で優勝なんてしたことなんてなかったからめっちゃ嬉しかった。



みんなでやってきたこと、ともやさんとそのひろさんの努力を証明することができた。



この時は人生輝いてたね。




ウィンター前くらいから全体練習が始まっていた。


2個上の先輩はバケモン揃い。1回1回の練習がクソ楽しかった。いっぱい可愛がってくれた、達郎さん、美輝さん、ぞえさん、照さん、なおきさん。




あの時があるからさらにラクロスを好きになれたし、上手くなりたいって思えました。





大学2年の5月 ここで僕に転機が訪れます。






腰椎椎間板ヘルニア



僕が負った怪我です。



3.4ヶ月の安静、最低でも半年のリハビリが必要だと診断されました。




正直この時の僕はポジティブに捉えていました。怪我してしまったのは仕方ない、頑張ってリハビリして早くラクロスやろう!


こんな風に意気込んでいました。




だけど現実はそんな甘くない。


日に日に強くなる、足の痺れとお尻の痛み。日々成長する同期。

何もできなくどんどん差が開いてく、自分の不甲斐なさ。

大好きな4年生と練習できない日々。




どんどんネガになっていきます。



本当に辛かった。リハビリをサボろうとも思った。


でも、同期が大好きだから、




またみんなと優勝の景色見たいと思ったから、



みんなとのラクロスが楽しかったから、



足なんて止めることできなかった。




そっからは頑張ったよねーーー。

(一番辛かったのはランジウォーク50m×3本ね)





大学2年の3月 



徐々に復帰してパス練、シュー練参加し始めた頃、あるものが流行ります。



新型コロナウイルス



これはもう

はっきりいて邪魔、害悪、出ろだったね。

(あめんぼぷらすから引用)




これが俺のリハビリ期間をさらに伸ばした。



みんなと会えない3〜5月の3ヶ月間。病むかと思ったね、ほぼ病んでたけどね。


せっかく復帰できそうだったのに、またラクロスできなくなったわ、


まだまだ全然お尻とか足痛いし、


サーキット鬼きついし、



こう考えるとガチで病んでました。






正直部活辞めようと思ってた。




リハビリ辛いし、いつラクロスできるようになるかわからなかったし、同期とラクロスする日なんて来ないって思ってた。




その時助けてくれたのが耕陽。(でぶです)



何かあると電話してくれて、その電話が支えになってた。耕陽に伝えようか悩んでるって言ってたの覚えてるかな?



それが部活辞めようか迷ってるって話。



でも俺は口に出すことなんてできなかった、


口に出すと現実になりそうだったから、


同期とラクロスできないのなんて嫌だったから、


一番は同期との関係がなくなるのが嫌だって思ってたから。



思ってることがいろいろ矛盾してるんだけどそのくらいメンタルが終わってた。



というか、俺自身が弱かった。




大学3年の6月



いろいろあったけど、なんだかんだまたラクロスできるようになりました笑


ほんとに幸せだったね。

(自分下手すぎて萎えてたけど)



復帰していきなりBのキャプテンは大変だったよ。

うるさい関西人生意気そうで怖かったし、

1個下と絡んできてないから、なんやこいついきなりって思われるのも嫌だったし、

先輩としての威厳が必要なのにラクロス下手すぎて、何もキャプテンらしいことしてあげることできなかったけど。



ほんと申し訳なかった半年間。1個上の4年生にも。




大学3年の11月



最上級生として、自分たちの代としてやるラクロスの始まり。



楽しかったけど、やっぱり同期との差はめっちゃ感じた。



1個上の試合であれだけ主力で戦っていた同期とやるラクロスは頼もしくもあったけど、自分がほんとに何もできないなっていうのを改めて痛感させられた。



案の定A.B分けではBスタート。



その時、弾とかまろ、てるほ、馬、拓実と話したね。

「俺たちはこんなところで腐っていられないから、Aで活躍するのが目的だから絶対A上がろう」って、



俺は結局A上がって3日しか練習できなかった。



ウエイトでぎっくり腰してまたヘルニアの痛みが強くなったから。


(右が1回目で左が2回目)



本当に俺のラクロス人生は終わりだって思った。


でも、中途半端で終わりたくない。最後までチームに還元したいって思った。

だから自分がやれる仕事を見つけてチームに関わりたいって思った。



ボックス管理が自分ができる仕事だって感じた。


比較的ルールには詳しい方だったし、つまらないファウル多い日体もこれでファウルが減ればいいって思ってた。




大学4年の10月9日 武蔵に負けた日



あの日僕は1回オフサイドさせてしまった。



チームの流れが傾きかけている時に、


最後に爪の甘さが出たなって思った。



俺と同じくらい怪我に悩まされ、実習で中々練習できなかった夢生を武蔵に勝って、次の試合で絶対にボックスに入れさせてあげたかった。



だけど叶えることができなかった。



何事も終わりは唐突にくる。


あれだけいい雰囲気で勝った立教戦、これだけのメンバーが揃っているチーム。


それでも負ける。


上には上がいるってだけの話。



だからこそ、自分たちが上に立て。死ぬ気で努力しろ。ラクロスに時間を費やせ。費やした分だけ上手くなる。だけど上手いだけじゃ勝てない。


上手くなるより強くなれ。




これで俺のラクロス人生は終わりかけてた。



次の日のBリーグ。陸生に言われてボックス管理をすることになった。そこからまた俺のラクロス人生が豊かになった。



始めはみんなと喋ることなかったけど、だんだんアドバイスしていく中でこう言ってきてくれた子がいた。



「てつさん一緒にラクロスしましょう!」



それが、まろと凛と大和。



こいつらのおかげでまたラクロスしたいって思えた。


始めは1プレーが限界だと思ってたけど、慶應戦の直前に打ったブロック注射があまりにも効きすぎて余裕でフルで出ることができた笑



出るなら夢生と同じセットが良かったからセカンドに入れてもらった。

(夢生とは1年生から全部の大会でセットが一緒!)


そんな夢生からのアシストで慶應戦で点決められてほんとに嬉しかった!




慶應戦の後はいろいろあった。



OFとDFが仲悪くなった夕練、


関東決勝の前日に喧嘩する俺と弾、


スカウティングの精度低すぎて陸生に怒られたり、




2.3週間の間にいろいろありすぎたけど、最後までみんなが全力でやり切ったからこそ達成できた、


日体史上初のBリーグ全国制覇。




まじで偉業。ここまで勝ち進んでくれた後輩たちには顔が上がりません。



有終の美を飾るってこういうこと。



4試合で3得点1アシストは復帰直後にしては頑張った方だよね?同期のみんな!





こんな感じで4年間を振り返ると僕のラクロス人生は本当に怪我に悩まされた。4年間あるうちトータル2年間しか怪我の影響でラクロスをしていない。


それでも自分がどうやるか、どうしたいか、チームにどう貢献したいのか、最終的な目標はなんなのか、今の自分に何ができるのか。


考えればたくさん出てくる。



これから怪我する人、今怪我で苦しんでる人たくさん出てくると思う。



今の自分がそのままでいいのかもう一回考え直して欲しい。

怪我したからといって、そこで腐らないで欲しい。



最後まで全力でやり切れば必ずいい結果がついてくる。


自分を強く持て。





同期へ


俺はみんながいたから、最高の大学生活を送れました。

人生初の優勝という貴重な経験をさせてくれたのはみんなのおかげ。

朝から夜までラクロスに費やせたのもみんながいたから。

帰らずにスマブラやってたのもみんなといるのが楽しかったから。

高校の部活では同期の輪に入れなかったけど、大学では入れた。みんなが優しいから。


書きたいことたくさんあるけど、病院で書いてるもんでこれ以上書いたら寂しくて泣くのでやめます。


とりあえず総じて最高!ってやつ。

これからもみんなと死ぬまで仲良くしたいわ!よろしく!




3年生へ


まじでやり切れよー。後悔なんてすんなよー。

俺たちがいなくなってからてるとか自我出しやがって。最初から出せ。

みんな上手いから自信持て。

なんでもいい、どんなことでもいいから後輩から尊敬されろ。妥協するな!



2年生へ


先輩と仲良いのはいいけど、舐めるのは違うからなー。この代は仲良いし強いけど、ひとつ間違えれば全く別のチームになるから気をつけなさい。



1年生へ


楽しくないラクロスなんてないよ。もっと楽しめ!上手くなれる。



奥村さん


奥村さんがボックス管理任せてくれたから、自分でも必要にしてくれてる人いるんだ、って自信持てました。

息子ができたらラクロスやらせるし、おっくんのプレー見せまくっておっくんにします!笑



達郎さんへ


たくさん可愛がってくれてありがとうございました。達郎さんとやるラクロスが一番楽しかったです。達郎さんの中にある引き出しを全部教えてくれて、自分に可能性が感じられるワクワクがたまらなかったです。

だからこそ最後に一緒にラクロスしたかった!



まろ、凛、大和へ


本当にありがとう。。。

まろは俺の分まで18番をより良いものにしていってくれ!


家族へ


小学生の頃からやりたいことやらせてもらって、いろいろ言うこと聞いてもらってありがとうございました。

大学生でもお世話になってばっかだったけど、これからはしっかり恩返しできるよう頑張ります。

大丈夫です。貯金癖あるんで。





とても長い文章でしたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。




幸せな4年間にしてくれたみんなありがとう!






次は、彼女ができない悪魔に取り憑かれた柊人です。

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