まず初めに、日頃より日本体育大学男子ラクロス部へご支援、ご声援頂いている保護者、OBOG、学校関係者の皆様へこの場を借りて感謝申し上げます。
今後とも変わらぬご支援、ご声援の程よろしくお願い致します。
日体の黒ロングと言えば僕。
4年#99 須郷恵太です。
「日本一」という悲願は叶わず、ついに引退ブログを書く時が来てしまいました。
Final4早稲田戦から数日が経ち、4時に起きて始発で練習に向かう事もなくなり、引退したという事実を少しずつ痛感しております。
このブログでは4年間の振り返りと最後の2ヶ月について書いてみようと思います。
最後まで読んで貰えると嬉しいです。

高校までやってきた野球を辞め、新しいことをしたいと思っている時に出会ったのが"ラクロス"でした。
「日本一」「日本代表」
そんな言葉に惹かれ体験会に参加。
楽しくて入部を決めました。
最初の頃はただただ楽しかった。
けど、防具オンしてサマーやウィンターを経験していく中でそんな感情は薄れていきました。
思うように上手くならない
朝練が終わって授業で健志台に行き、終わったら世田谷に戻ってウエイトと壁あてをする。
そんな毎日を繰り返していたのに結果も出ず、試合で活躍する事もありませんでした。
毎朝桜新町駅から日体へ向かう道中「辞めたい」って言いながら歩いてました。笑

そんなこんなで何とか続けて、気付けば2年生に。
impactチームに合流して
"Bリーグ日本一"を目指して戦いました。
あんまり楽しさを感じていなかった自分も、当時4年生でimpactチームにいたあさひさんやともきさん、なおきさん達と勝ちたい、勝たせたい
という思いで1年生の時よりももう少しラクロスに向き合いました。
結果、Final4で早稲田に敗北。
大宮けんぽのあのグラウンドで涙を流しました。
本当に悔しかった。
もしかしたらこれが自分が初めてラクロスで感じた悔しさかも知れません。
試合後にあさひさんから「須郷ならやれる」と言ってもらったことは忘れられません。
そして、3位決定戦で劇的な勝利を納め、23impactは終わりました。
4年生の意地を感じたシビれる試合でした。
この年、あさひさんがtopチームでA1の舞台に立っている姿に憧れを抱きました。

そんな'23の4年生が日本一の景色を見せてくれた次の24日体。
自分は最初はimpactチームでした。
怪我人などの影響もあったと思うが、リーグ戦2戦目早稲田戦からtopのボックスに入れてもらっていました。
topチームの練習はimpactチームよりももちろんレベル、強度共に高いのでついて行くのに必死でした。
それに、ボックスにはいたけど結局1秒も試合に出ることはなく、自分の主戦場はBリーグにありました。
そのBリーグも結果が出ず、24日体は少し早めに終わってしまいました。

そして25日体の始動。
最初のチーム分け、自分はimpactチームでした。
悔しかったけど、これまで果たせなかったBリーグ日本一を取る為に幹部になってチームを引っ張り、
これまでの知識や経験を後輩たちの成長に繋げられるよう努めました。
結果、予選敗退。
実際4年生として、
幹部として、
周りからどう見られていたかは分からないけど、少しでも「恵太さんがいてくれて良かった」って思って貰えてたら嬉しいです。
リーグ戦も始まって毎試合スタンドから全力で声援を送っていました。
正直、topに入れない悔しさや同期や後輩がピッチで輝いているのを見て、心の底から応援出来ていない事もありました。
この時は本当に辛くて久々に「もう辞めてもいいかな」とか考える事もよくありました。
けど、impactでやるラクロスはめっちゃ楽しいし、何よりのりたかやあおと、未来、可愛い後輩達の事が大好きで、裏切りたくなくて、
全部乗り越えられました。
そして、リーグ戦vs立教大学前にimpactの4年生と駿太さんで少しお話をしました。
ここから最後の2ヶ月が始まります。
ここまで不甲斐なかった自分。
これまでサポートしてくれたコーチ達、両親、期待の声をかけてくれていた沢山の先輩方の為。
あさひさんのようにimpactのヒーローになりたい。
そして何より、
これまで着いてきてくれたimpactメンバーがtopを応援する理由になる為、
「今皆がやっていることは間違ってない」と伝える為に。
自分でチャンスを創り、
topに這い上がって試合に出ると覚悟を決めました。
そこからはオフの日も必ず周りを巻き込んで自主練
impactがオフでもtopの練習があれば見学だけでもさせてもらい、ビデミにも参加するみたいな生活を何週間か続けました。
そして、一橋戦後からtopの練習に参加させてもらえるようになり、約1ヶ月間グリや慶應との練習試合、Final4合宿を経て、
早稲田戦へ出場することが出来ました。
試合後、多くの先輩方やコーチ、impactメンバー達に
「最後良く頑張った」とか「試合出てるの見て嬉しかった」
とか色々声を掛けてもらえて、
覚悟決めて足掻いて良かったなと思うと同時に、
もっともっと早くから同じ向き合い方してたら、、、
と感じました。
impactの皆の目に、
自分はどう映っていたでしょうか?
皆のヒーローになれていたでしょうか?
だらだらと長く自分遍歴を語ってしまってすみません。
もうすぐ終わります。
自分と同じようになかなか結果も出ず、なんとなく月日が過ぎていっている人も少なからずいると思います。
しかし、
君達がやっていること、
やってきたことは絶対間違っていないです。
1番楽な"辞める"という選択肢を取らないでいる限り、
必ずチャンスは来るし、自分で創る事も出来ます。
それを掴み取るかは自分次第ですが。
もし悩んでることがあったら遠慮なく連絡してください。
晃一郎さん
最後の最後で晃一郎さんの手から離れることが出来て良かったです。
どんな時でも自分に向き合ってくれて、沢山ヒントをくれて、自分の見えない所でも自分の為に行動してくれて、、、
晃一郎さんがいなかったら多分何も残せず引退することになっていたと思います。
本当にありがとうございました。
impactで日本一のコーチにしてあげられなくてすみませんでした。
そして、まだ八木という者が晃一郎さんの手の中にいるのでどうか手を離せるようにしてやってください。

Final4のスタンドが最高の景色だったとか、
99番を継いでくれた男への期待とか、
書きたいことや伝えたいことはまだまだあるのですが、もう既に長いのでここら辺にしておきます。
最後に4年間支えてくださった家族、同期、先輩、後輩、コーチ陣、OBOGなど全ての方々に感謝の言葉を送らせてください。
本当にありがとうございました!

