日頃より日本体育大学男子ラクロス部へのご支援、ご声援ありがとうございます。
今年度クリア・ライドリーダーを務めました。
4年 #24 LSM草野翔太です。
先日行われたFINAL4vs早稲田大学の敗戦をもって、
25日体の活動は終了しました。
雨の中現地で応援をしてくれた方々、配信で見守っていただいた方々。本当にありがとうございました。
改めて、自分一人ではこのような環境を作る事は出来ないし、多くの方々の協力があったからこその4年間だったと痛感しています。
遂に引退ブログですね。
色々な人に支えられ、物凄く濃かった4年間。
ありのままの自分の4年間を文章にまとめたので最後まで読んでいただけると幸いです。
デスマス調揃ってないですが許してください。
スタート。

「4年間辞めなくてよかったー!!!」
これが最初の感情です。
色々と辞めたくなる時期はありましたが、総じて楽しかったです。
大学4年生の22歳になりながらも毎朝4時前に起きて始発に乗って、全力でボールを追いかけて、走って、筋トレしている姿。
一旦冷静に考えてください。
普通にやばくね?笑
いや、凄く美しい事だと思います。
何度友人の遊びを断り、ストーリーやBeRealを見て悔し涙を流しそうになったことか。
数え切れません。
これからは沢山誘ってください!!
早稲田戦が終わった次の日の夕練に自分を含め、4年生7人が地縛霊のようにグラウンドにいたのでまだ引退した実感がありませんでしたが、
皆の引退ブログを読んだり、練習開始時間を過ぎたら鬼のように電話が来ることもなく、自分は引退したんだなと感じています。
振り返ってみると1~4年生まで、全ての大きな試合で早稲田と試合をしていました。
なにか縁のような不思議なものをひとりでに感じています。
今日の朝練ダルいとか、
小雨が降ってたら滑って危ないから室内にしようとか、
カスみたいな小言を未来と一緒に駅から歩きながら毎日登校したこと凄く楽しかったです。
(芝が新しくなって水溜まりなんて出来ないのに)
4年の後期になっても授業同じなので一緒に卒業しましょう。あと、改札に来るまで時間かかりすぎ。
未来と練習日が違う日は1人で学校まで歩くから7分くらい早く学校に着いてました。
サイドステップが出来なくて怒られて、
2時間サイドステップだけやったり(人によってはもっと)
スクワットジャンプしてたりなどなど、、、
最弱の世代って言われたり
同期が急に減ってしまったり
色んな意味で大変な4年間を過ごしてきたと思います。
それでも4年間最後まで続けたことにまず、胸を張っていいのではないでしょうか。
話が逸れてしまいましたね。
それでは、本題に入ります。よろしくお願いします!
振り返ってみると凄く長い文章になってしまいました。
それほど日体大ラクロス部への愛が深いということで許してください!!
1年生「全然勝てないじゃん」
入部した理由は、みんなと大体同じです。
小4から高3まで続けた野球を辞めて、日本代表になれるかもという定番の謳い文句に誘われて入部しました。
僕の学部は世田谷なので、世田谷キャンパスが活動拠点で移動も無いラクロス部を選びました。
毎朝1分起きにアラームを設定し、寝坊しないように毎晩怯えながら寝ていた生活も今となっては良い思い出です。
現在は、1回のアラームで起きれるようになりました。
体験会で最初にパスキャした先輩は、鳥さんでした。
鳥さんは覚えてますか????
多分覚えてないと思います。笑笑
1年生の頃はルールも分からず、試合に勝つことも出来ず、毎朝腕に大きなあざが出来る日々を過ごし、みんなに着いていくことに必死でした。
初めてユニホームを着た試合は早稲田大学。
防具ONした次の日の試合。
健志郎さんの名実況「This is Lacrosse!!」が炸裂。
相手に吹っ飛ばされてラクロスの洗礼を浴びせられました。
実は寺内世代1発目のFOは僕だったんだよ。
みんなは覚えてるかな??
サマーは雨が降る中すぐに負けてしまうし、満を持して東海と合同で出場したウィンターも初戦負け。
勝つことが非常に難しかった!!
特に僕が覚えているのは、筑波からの帰りに碧人が備品のシール勝手に貼り変えて、はなちゃんにブチ切れられてた事。鮮明に今も脳裏に焼き付いています。笑
みんな覚えてるかな??笑
入れ替え戦を経験し、あっという間に1年生が終わりました。
2年生 「憧れのHEROの存在」
2年生になって少しづつルールを覚えて、試合にも出させて貰えるようになりました。
青学と合同で出場した最後の学年試合あすなろ。
運も重なり準優勝。何回勝ったっけ?笑
この記録を超えるチームは今後現れるのでしょうか。
組織が分からず大翔さんに怒られて萎える日もありました。
そんな中僕にはお手本にしている先輩がいました。
旭さんです。
Bリーグやクリライでとてもお世話になりました。
この時初めて、
「この先輩達と勝ちたい」
「もっと一緒にプレーしたい」
と思うようになりました。
Bリーグも早稲田に負けました。
涙が止まりませんでした。
その後、23日体は日本一になり旭さんは引退して、僕は背番号24を引き継ぎました。
まだ1回しか飲みに行けてないので飲みの計画立てますね!!
旭さんへ
24番を輝かす事は出来たでしょうか?
3年生 「草野クリライ班の門を叩く」
3年生は、先輩のDF陣が少なくTOPに帯同する時間が多く、試合に出る時間も多かった24シーズン。
まさと、八木、鶴さんとLINEグループを作って目標を立てたり皆で切磋琢磨したりして取り組んでいました。
そしたら急に1人いなくなった。
同ポジの先輩は0人。笑 結構心細かったです。
「クリライ班に入らないか?」
リーグ戦予選早稲田戦の後、柊人さんと駿太さんに声をかけてもらった。
正直微妙だった。
教えられる立場でも無いし技術もないのに、、、
「覚悟とは!暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことだ!」
この言葉は、僕の好きな「ジョジョの奇妙な冒険 」第5部 黄金の風
主人公ジョルノ・ジョバァーナが絶体絶命の状況で仲間に放ったセリフです。
取り組んだ事が無いことに対して不安な気持ちも多かったけど、みんな最初の1歩が怖いのは同じだからと、ジョルノの言葉を思い出しました。
だから、初めて目に見える形でチームに貢献出来ると思って門を叩きました。
そして、24シーズンクリライリーダーの寺内の背中を見て、クリライリーダーとしての基礎を学びました。
最初は自分の意見や知識など、グラウンド上でどう還元するか言語化が難しく、最初は苦戦した。
でも、ある意味この時期が僕のラクロス人生の分岐点でもあったような気がします。
柊人さん、駿太さん、あの時期の僕に役職を与えてくださってありがとうございます。
パイセンは全然ゲームプランとかミーティングで返信くれなかったけどね笑
つま恋や最強決定戦など様々な試合を経験する中で、去年よりも
「先輩達を勝たせたい」
「恩返しがしたい」
「1秒でも長く同じフィールドに立っていたい」
という思いでプレーすることが多かった。
だから毎日夢中で取り組んだ。
しかし、神様は残酷で、リーグ戦前日の練習で足首を怪我してしまい予選3試合を残しながら個人としての24日体が終わってしまった。
負けたら4年生は引退、勝ったらFinal4が決まる運命の慶応戦はなんとしても出ようと思ったけど、全然治らなくて応援席でただ見ているだけだった。
敗戦した。
涙が止まらなかった。
大好きだった4年生の引退。
こんなにも悔しい思いはしたくないと心から思った瞬間でもある。
個人的には、敬士さんと一緒に抱き合って泣いてしまった瞬間は忘れません!
主将のオニョさんと一緒にフルフィールドリーダーという役職に就いたのも3年生でしたね。
その節はどうもお世話になりました笑
4年生「HERO」
最上級生になりチーム作りのミーティングを重ねた。
僕たち4年が変わらないといけないって言われ続けたけど、正直何を変えたらいいのか分からなくて、毎日愚痴ばっかりだった。
4年生になる=チームの看板を背負う
ということだし、
常に手本になって背中で示さないといけない立場になるのだから現状に満足していたらダメに決まってる。
自分だけ良ければいいという考えは捨てなければいけない。ただ単に自分の考えが甘かった。
春先には、IMPACTにも落ちた。
実習や就活を言い訳にして、どこか逃げ道を作って自分を甘やかしてたんだと思う。
チームは日本一へと向かっているのに自分は落ちていくばかり。
今振り返ると1番上手くいかない時間だったからこそ、1番真剣に向き合うべき時間だったんだと思います。
その期間にもっと練習しとけよって思います。
月日は流れ、最強決定戦の予選の一橋戦からTOPチームに戻ることが出来た。
自分の得意なGBや、クリアライドで勝利に貢献して、チャンスを掴む事が出来た。
最強決定戦で優勝出来た事は凄く自分の中で大きな自信になった。
その裏側で悔しい思いをしているメンバーがいる事も忘れちゃいけない。
だからこそ試合中は弱気になってはダメだし、応援してくれているメンバーの為にも全力で戦わなければいけない義務が選手にはあると思う。
山あり谷ありの期間を経て、大舞台でラクロス出来る環境に感謝しなきゃって改めて感じた。
これは練習中にボトルを出してくれるスタッフにもだし、審判を一生懸命やってくれるスタッフにも感謝しなきゃいけない。
スタッフに面と向かって言うのはとても恥ずかしいので、文章で感謝を伝えたいと思います。
日本一になるチームにスタッフの力は必要不可欠だと思うのでね。
おまけにリーグ戦の横国戦では得点まで決めることが出来た。めちゃくちゃ気持ち良かったです。
怜空と直哉と得点数を競ってましたが、僕の勝ちです。

少し真面目な話をすると、
いつどこでチャンスが巡って来るか分からないし、
チャンスが一瞬の場合もあるから、そのタイミングを見逃さずに確実に掴んでもらいたい。
皆はこれまでのラクロス人生いつ成長しましたか??
順風満帆の時ですか?
試合で成功して勝利した時ですか?
僕は決してそうではないと思います。
苦難困難、挫折、ため息をついて帰り道に涙を流し、自分を悲観した日々。
そんな瞬間が大切で、振り返ると実は成長していた事に気づくものです。
何が本当に自分の中でありがたい出来事だったのか、実は分からない。
一瞬です。
あっという間です。
次に、先程も述べたチャンスを掴むこと、運を味方につけることについて書きたいと思います。
まあこれは考え方の問題ですね。
幸運というものは不運の形をして我々の元にやってくると僕は考えます。
みんなも経験があると思います。
試合でミスして交代させられたことも、LINEでコーチに詰められてなんて返信すればいいか分からずあたふたした時も、練習で中々上手くいかなくて苦労したことも。
でも振り返ってみると、
あの苦労があったから皆の心が1つになった。
あの逆境のおかげで自分たちは成長出来た。
あの危機が実は大きな転機だった。
あの出来事のおかげで新たな方向に向かうことが出来た。
このような経験がいくつもあると思います。
最近になって、他人からは不運や逆境に見える出来事であっても、深く見つめてみると、
実は「幸運」という目に見えないものが、
不運の姿をして私たちのもとに訪れていたのだと感じるようになりました。
だから何か辛いこと、逆境に立たされることがあったとしても、これは"何か変わるきっかけ"だと思って行動する習慣を身につけてもらいたいです。
周りからダサいと思われても、不幸に見える出来事が本当は、意味のある出来事であることに気がつくはずです。
何か深い意味があって自分に与えられた試練なんだと。
その出来事からその意味を学ぼう。
大切な事を学ぼう。
今この出来事は自分に何を教えようとしているのか、
自分に何を学べと言っているのか、
自分に何を掴めと言っているのか、
自分に何を伝えようとしているのか考えてみて欲しいです。
その為には、コツコツと今日という日を必死に生きて積み重ねる事がコツだよ。
特に八木ー!!
25シーズンは、ポジションリーダーとしても成長できた1年だと思います。
クリライだけでなくフルフィまで責任範囲を広げるって勇気のいる事だし、その分やりがいがありました!
基礎の基礎から始まったクリライも皆の成長を試合の度に感じられてとても嬉しかったです。
クリライのビデミもっとやっておけば良かったって少し心残りがあります、、、

来年のクリライ班のメンバーへ
「目指せ牛丼屋」の意思を継いで欲しいです笑
我ながらこのキャッチコピー気に入ってます。
凜さんを初めとした怜空、純大、魁燦、仁、惺梛のクリライ班。
頼りないクリライリーダーでしたが、最後まで着いてきてくれてありがとう。本当にお世話になりました。
クリライが課題って言われて辛い思いをしたかと思います。でも皆の良さが合わさって一つ一つ課題を克服していけたのだと思います。
だけど、スカウティングは期限決めてるから早めに出してくれると嬉しかったな。笑
あと、魁燦にはもっとミーティング参加してもらいたかったなー笑笑
みんなとの思い出は語り尽くせないほど沢山あります。
終電近くまでクリライの反省を出して帰ってた生活が今は懐かしく思えます。皆でご飯行こうね。凜さんおねしゃす!!
ところで皆さん。
今年のクリアライドの原則原理を覚えているでしょうか???
このブログを読んだら、すぐに僕まで原則原理の答えをLINEしてください。絶対です。牛丼屋ではないです。
クリライって本当に勝敗を左右するからみんなにもっと重要さを知ってもらいたい!!!
切実な僕からのお願いです、、、
分からなかったらすぐに聞くこと!!!
分からないをそのままにする方がダメだからね。
あっちゃん、なおき、最後に未来OK??笑
・日体ってワクワクする試合してくれるから楽しませてもらってました!ありがとう!
・応援席の声量も凄いし、一体になって応援してるのを見てかっこよかった!後半の巻き返しは鳥肌ものだったし、会場の熱気も最高だった!
上の2つの文章は、Final4を観戦に来てくれた2人の友人から貰ったメッセージです。
初めて応援に来てくれた方々が鳥肌立つスタンドって本当に凄いと思う。
応援してくださった日体ファミリーの皆様本当にありがとうございました。
フィールドから見えたあの景色は凄く心強く、
背中を押してもらいました。
本当にありがとうございました。
最後の試合を振り返ると、今まで僕たちが歩んできた4年間は間違いではなかったんだと思いました。
試合前に全員で歌う校歌。
満員で青く染まったスタンドから聞こえてくる応援歌。
他大のラクロス部が最前列で応援してくれるスタンド。
試合後に後輩やコーチ陣が涙する姿。
日体ファンの長蛇の列。
負け惜しみに聞こえてしまうかもしれないけれど、
「日体にしか創れない景色」は確かにそこにありました。
あの景色は一生忘れません。
ラクロスを嫌いになってしまった期間もあったけど、最後は好きになって終わることができて良かったです。
これからは、1人のOBとしてみんなの活躍を期待しています。
次に個人的に感謝を伝えたい人に向けて書きたいと思います。

凜さん
本当にお世話になりました。
最後なので言わせてください。
コーチの中で1番関わりやすいし、話やすかったです。笑
クリライリーダーとして至らない点が多くて、沢山迷惑をかけたと思います。一緒に25シーズンを駆け抜ける事が出来て嬉しかったです。飲み会しましょうね!!
大好きです!!
貴也さん
このブログを読んでいるか分かりませんが、体重を減らすメニューであったり、別メニューを出してくださったり最後まで見捨てずに指導していただき本当にありがとうございました。
姿勢悪すぎてスマホ捨てろって言われたこと、引退後のLINEは絶対に忘れません!!
寺内
最高の主将でした。勝たせてあげたかった。
日本一になって胴上げしたかった。
チームを先頭で引っ張る背中凄くかっこよかった。
改めて寺内が主将で良かった。そう思う。
夜に電話で話したり、対面で話をしたり色々迷惑かけましたね笑
怜空
24番欲しいって言ってくれてありがとう。託しました。
渡すなら怜空しかいないと思ってた。相思相愛ですね笑
最後に同じフィールドに立たせてあげることが出来ず本当に申し訳ない。来年はWingでポゼッション取れるように頑張るんだよ!!浮き出てくる膝をしっかり治して完全体でプレーする姿を期待しています。
つい先日も1時間以上電話したね。内に秘めた熱い思いをグラウンドや組織作りで思う存分発揮してください。
困ったことがあったらいつでも連絡くださいな。
未来
4年間ありがとう。未来がいたから頑張れた。
不器用だけど後輩思いで頑張る姿しっかり見てました。
ちゃんと防具は自分で洗えよ!!
コーチ陣の方々へ
1人1人に感謝の思いを書きたいのですが、まとめて思いを書かせていただきます。
4年間本当にありがとうございました。
グラウンドやLINE上でコミュニケーションを取ってくださったり、食事に誘っていただいたり、銭湯に行ったり。
他大のラクロス部では考えられないくらいに寄り添って親身になって相談に乗ってくださいました。
本当に感謝しています。
家族へ
4年間何不自由ないラクロス生活をさせてくれて本当にありがとう。定期的に集金をせびってすみません。
春先からの試合は、ほとんど会場まで駆けつけてくれてありがとう。春から世のため人のために動ける立派な社会人になれるように今から充電しておきます。
次に各学年に少し。
お節介かもしれないけど最後なので言わせてください。
1年生
ラクロス部を選んでくれてありがとう。
これから高い壁にぶつかる事があるかもしれません。その時は、同期との縁を大切に支え合って乗り越えてください。これからのラクロス部の未来は君たちにかかっています。応援しています。
2年生
シゲ達が上手いからってボックスに入れたらいいなとくらいに思っていないかい?2年生が成長しないとチームの底上げは出来ないから、限界を決めずに自分と向き合って耐えてください!スタッフも同じね笑
あと仁!!間合い練頑張れよ笑
じようは怪我治して練習沢山してください。
3年生
言うことないです。
毎試合頼もしかったです。ありがとう。
まさき、源大。始発の山手線で会えないのは少し寂しいです。日本一目指して頑張って!
応援しています。
最後に
合宿や決起ブログ等で何度か述べていますが、、
25シーズンの背番号24番は
この先何十、何百年と続く日体大男子ラクロス部の1ページに、
そして皆の記憶に残る事が出来たでしょうか。
HEROを体現することが出来たでしょうか。
1人でも誰かの記憶に残ることが出来、誰かの原動力になれたなら僕が4年間走りきった意味があると思います。
ラクロス部のみんなと過ごして嬉しかった事、悔しかった事、怒られた事の全ての時間が、
僕にとってかけがえのない大切な宝物です。
みんなと出会えて良かった。
改めてラクロス部に入部して良かったです。
自分に関わってくれた全ての方々の事が大好きです!
自分からラクロスを引いたら何が残るのだろうか。
少し恐ろしい問いですが、今後の人生に期待を抱いて引退ブログを終わりたいと思います。
4年間本当にありがとうございました!!!!!


