日頃より日本体育大学男子ラクロス部への温かいご支援、ご声援を本当にありがとうございます。
これまで活動を支えてくださったOBOGの皆様、保護者の皆様、亀山部長、コーチの方々、
そして日体大男子ラクロス部を応援してくださるすべての方々に、心より感謝申し上げます。
皆様の応援やご支援があったからこそ、私たちは4年間活動を続け、最後まで戦い抜くことができました。
背番号9番DF萩中貴一朗です。
早稲田とのファイナル4が終わってもう1週間が経ちました。
時の流れは早いなと感じます。
ラクロスというスポーツに出会えて本当に良かった。
この4年間は今までの人生で1番濃い時間で、そのくらい充実した毎日。
そして、日体大でラクロスが出来たことは一生の誇りです。
そんな自分のラクロス人生を振り返っていこうと思います。
1年生
日体に入って特に部活などに入るつもりはなかったけど、高校からの先輩であるバモス加川さんがラクロス部にいたので体験にだけ行きました。
なぜかその時には健志郎さんとインスタは繋がっていました。
もうその時点でラクロス部に入ることが決まっていたのだと思います。笑
体験に行ってみるとパスキャなど意外と出来て、体験で話した凜さんが優しかったから特に目標などもなく軽い気持ちで入部をしました。
この時根津けんと4年間頑張ろうと話した気がします。
入部してみたら想像の何倍も厳しくて、訳わからんことが多すぎて困りました。
それでも何となくやり続けてました。
自分はスポーツ右利き、私生活左利きなこともあり、
意外と両手でショットを打てて「俺意外とやれるやん」って思ってました。
そんな感じでしたが、サマーは気づいたら負けていました。
そしてウィンターに向けてポジションを決めるタイミングになりました。
希望ポジションはSSDM。
しかしその時の育成コーチのこうようさんに、そんなポジションはないと言われ、「やるならMFとしてOFも」と言われました。
絶望的にダッチがかけれなかったのでとても困りました。
でもこうようさんに「ロング持とうよ」と言われ、
ロングになることを決めました。
ロングを持ってからは毎日1000回素振りを1ヶ月やれといわれ、寒くても雨でも頑張ってやりきりました。
その成果もあってか、ある程度上手くいくこともあり萩中絶好調タイムに入っていきます。
今の現役生は知らないだろうけど、僕の昔の武器は1on1でした。
めっちゃ自信ありました。昔は。
ウィンターなど全く勝てませんでしたが
ラクロスに楽しさを感じるタイミングが多くありました。
トップの入れ替え戦も終わって最強の23シーズンが始まりました。
なぜか最初のチーム分けでTOPチーム入り。
驚きでしかなかったですが「期待枠」という素晴らしい枠に入れてもらいました。
ここから僕のラクロス人生は加速していきます。
TOPチームに入ったはいいものの、とても厳しい生活の始まりでもありました。
練習ではまずGBなど拾っても飛んでくるチェックの嵐、
対人で元々チェックが荒いと言われてたのですが痛いとキレられながらの対人。
振り返ってくるとどんどん出てくる。
そして1番の思い出組織の練習です!!
66など全くわからないままTOPに入ってしまったこともあり、とっっても恐怖の愛あるご指導を頂きました。
途中から66入るの怖くて後ろの方にいたこともありました。
怖いのは主に2名。
あの2人です。
今となってはとても良くしてくださっています!笑
怒られるのが嫌だったので、毎日晃一郎さんにLINEで質問いっぱいして1つ1つ丁寧に教えてもらい、それを自分の中で噛み砕いて次の日の練習に行く。
こんな毎日でした。
でも物覚えが悪いので毎日怒られ、沢山の愛あるお言葉をいただき続けました。
言われたことの1つに
『組織は5回練習動画を見ると真上から見ているのと同じ感覚になる。』
何言ってるんだろって思いましたね、何度見ても僕にはわかりませんでした。
でもそのお陰でそこから組織に苦労する事はありませんでした。
本当にありがとうございます!
少しずつ怒られることも減り、またラクロスが楽しくなってきてました。
そして最後の学年試合あすなろでは準優勝することも出来てとても充実した毎日でした。
(同期のみんなパスカットは本当にごめんなさい)
でも日体に戻ると組織は覚えても勿論プレーは下手すぎたのでImpactに行ったりTOPに行ったりの日々。
夏休みは毎日2部練しました。
TOPチームは順調にファイナル4に進んでいました。
そしてファイナル4のボックスメンバーの発表、今までのリーグ戦のボックスには入れていましたが名前が呼ばれず入ることができませんでした。
まじで悔しかった。
試合は死闘となりましたが勝利を収め、全国大会進出を決めました!
もう1度ボックスに入るべく、練習を頑張ってすぐ戻ろうと思いました。そして、その後の関東決勝のボックスに入ることができました。
書き忘れていましたがボックスでは基本盛り上げ隊をやっていました。主に僕とみなみです。
試合に出ることはほぼなかったので、とにかく楽しくはしゃいでいました。気づいたら人も増えてた。笑
このポジションを築くために色々なことをしました。
(Boxに入りたいけど実力では厳しい下級生聞きにきてください。技教えます。)

そして迎えた関東決勝の法政戦。
いつものようにボックス盛り上げ隊をやっていたらエキストラの時に旭さんが被弾してしまい、
まさかお呼びがかかりエキストラに出場。
出たのは30秒位だけど、まじですごい景色を見せていただきました。
そして全国大会も順調に勝ち進み日本一。
人生で初めて「日本一」というものを経験させてもらいました。
そして最後のグリズリーズとの試合。
勝っても負けても4年生がいなくなる試合。
本当に悲しかった。
試合前にエキストラで出ると言われてはいたので準備はしてました。
そして2Qでフラッグ上げて本当に出場。
緊張しまくりでした。フラッグが多かったこともあり沢山出場させてもらいました。

横浜スタジアムの景色、最高に良かった。
浜スタといい、駒2といい、こんなに人で埋まったスタンドの中心に立てていることがすごい嬉しかったし、
絶対こんな舞台にもう一度立ってやろうと思いました。
この試合で4年生が引退しました。
その後すぐ始まった24シーズン。
やる気に満ち溢れていました。けいしさんとあきとさんとdfリーダーとしてシーズンスタート。
まずやったのは自分のレベルアップ。
身体が小さかったこともあったので、駿太さんと約束して元々73キロとかしかなかったのを毎月2キロの増量を約束し、80キロ到達を目標に増量が始まりました。
とにかく食べました。
そんでウエイトも死ぬほどやりました。
学校のウエイトだけでは足らず、ジムも契約してとにかく行きまくりました。
また佐保田さんからの食事のサポートもありどんどん体重が増えていきました。本当にありがとうございます!
体重は良い感じに増えていたのですが、チームではある一定の目標の数値を達成しないと練習に参加できなかったので、月2キロは増えていたはずなのにそれでも足りず、
練習に参加できず一生ご飯食べてました。
最後は82キロにまで増え、練習も入れるようになった頃、体を大きくすることができたが重すぎた。
シーズン通して調子も上がらず、リーグ戦に出していただいていましたが全く力を出すことができませんでした。
特に印象に残っているのは早稲田戦。
準備をしっかりして臨んだ一戦。
何もできなくて悔しさしかありません。
その後からスタメンからも外れるとなっていたけど、草野が怪我をしてロンミとして出場することになりました。
そこで貴也さんと話して体脂肪を落とすことになりました。頑張って増やした体重もみるみる減っていき、最後はほぼ最初の体重まで落ちてしまいました。
最後の慶應戦にも負けてしまい24シーズンが終了。
4年生に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
個人として全く通用しないシーズンでした。
そして最高学年となる25シーズン。
1番辛かったです。
色々なミーティングがある中で、もう新3年生にチームを譲ったほうがいいとかまで話はいきました。
その中でのポジリ決めの時、何人か集められました。そこで自分はやれませんと言いました。
でもなんだかんだでやることになりました。
25シーズン、チームとしても最初は全然上手くいかず「どうなるんだろ」って思いました。
グラウンドの工事もあり他大にグラウンドを貸してもらう期間が続きました。本当にありがとうございました。
その借りたグラウンドでひたすらラントレをしましたね。毎日沢山走りました。
個人のパフォーマンスが安定せず波があり、最強決定戦でも上手くいかずでしたが、チームは勝ち続けプレーオフに進出しました。
そして早稲田戦。
そこで遂にスタメンを外されました。
しかしDFはチームとして最高のパフォーマンス。
そんな中ボックスにいる自分。
チームは勝利しとても賑やかな中、素直に喜べない自分。
そんな中で追い打ちをかけるように次の日から教育実習がありました。
これがまー辛かった。
教育実習から帰ってきたら白くなりすぎてみんなに心配されました。
そしてふとした時、
「俺の居場所なくね」って思いました。
ここで自分の現状から目を背けました。
「俺がいてもいなくても変わらないな」
ってその感じを受け入れてしまいました。
逃げましたね。
ここでもっと踏ん張れていたら変わっていたかもしれません。
そして最強決定戦も早慶を倒し決勝に進出。
決勝はu20組がいなかったのでスタメンで出してもらいました。
相手は明学。
この時自分の中で引退試合になると思って試合に臨みました。(明学のしょうたにも試合中言ってた。)このメンタル良くなかった。
結果は勝利。

個人としても初めて勝利に貢献できた気がしてた。
試合に勝って初めてこんなに素直に喜べた瞬間でした。
チームとして良い流れで満を持して始まったリーグ戦
開幕戦の舞台に選んでいただいた。

結果は敗戦。
ほぼ試合に出ることはなく負けた試合。
みんなの様に悔しがることができなかった。
その後横国戦に何とか勝利し代表組がいなくなる期間。
このままじゃまじでTOPにいるだけの何も残せない置き物になると思った。
どうにかしないといけなかった。
しゅんたさんやかんじさんに相談しに行こうとか、LINEの文字まで打ってたけどいけなかった。
ダサいですね。
ちょうどImpactもBリーグが始まっていてssdmが足らない状況だった。
ここで自分からしゅうとさんにお願いして、
ssdmとして出してもらうことになった。
Impactのみんな温かく迎えてくれてありがとう。
元々やったことないし、DFの組織くらいしか伝えられることなかったから対人やGB、ランクリなどプレーで少しでも手本になればと思ってプレーしてました。
そこからImpactの練習にもいくようになった。
Bリーグの慶應戦も最後の最後に勝ち切ることができなかった。
それと同時に試合中の衝突で足の甲がとんでもなく腫れた。
歩くのがきつくて嫌な予感がしながら病院に行くとジョーンズ骨折のヒビ的なこと言われ、貴也さんに見せたら練習を抜けることとなりました。
合宿も完全抜けと言われまじであたま真っ白になりました。
この合宿をきっかけにしようと思っていたので本当にショックでした。
それでもできることに取り組んだ。
グラウンドを見てみるとu20組もいなくて、まさとがきつそうで見てられないし。
八木ちゃんが一緒に試合出よって言ってくれるから痛くないと思い込んでリハビリ頑張りました。
そして早めに復帰できました。
まずBリーグ勝たせようと思ったけど勝たせられなかった。みんなごめん。
TOPは勝ち続けて毎試合少しずつ試合に出してもらってた。もちろん上手くいっていなかった。
けどずっと感覚は悪くなかった。
そしてファイナル4進出。
ずっとこの代は入れ替え戦確定世代とか史上最弱とか言われ続けてたからシンプルに嬉しかったし安心した。
練習も楽しいとかは特になかったけどやってはいた。
何かのタイミングで駿太さんと話した時に、軽い感じで何考えてやってるのって言われて、
どうしたら出れるか考えてますって言ったら2年から変わってないやんって笑いながら言われた。
まじで軽い感じで言ったんだろうけどその通り過ぎて刺さりましたね。
一橋戦後、拓朗さんと2人で帰ってて、
楽しいって思えること見つけたほうがいいって言われて
そーゆうの薄れてたなってまたはっとさせられて、
ここら辺から練習の中で自分が楽しいと思えるものを作る様にした。
オレンジロングとか人と違う感じがして楽しかった。
ひろとさんありがとうございます。
何かしら楽しいものを見つけてからはすごい毎日が楽しかったし、1日が過ぎるのが早かった。
ファイナル4までの1ヶ月はあっという間に過ぎていった。
しかしチームでは色々と起きていた。
りくが手術。これはまじで悲しかった。
寺内被弾の連続。
及川謎の怪我。
まじで何してんねんって思ってたけど、正直出れるチャンス過ぎて嬉しかった。
ずっとかんじさんから覚悟が足りないって言われてたけど、この時ばかりは流石の僕でも覚悟決めてました。
もう今までのことは変えれないから、未来を変えようと思ってできることを取り組んだ。
そんな1ヶ月でした。
そして早稲田戦。
謎の勝てる自信は持ってました。
そして穴埋めでしかなかったけどスタメンとして出してもらいました。
人で完全に埋まったスタンド。
聞こえてくる応援。
叫び声最高の環境過ぎて興奮が止まらなかった。
日体のスタンドは本当にいつも沢山の人で埋まっていてグラウンドに力を送ってくれている。
日体の最大の武器だなって思ってます。
不思議と緊張はなかった。
試合は10-7で敗北。
今までで1番悔しかったし、日本一になれると信じていた。
何か足りなかった。
負けた瞬間はみんなの顔見て涙が出た。
かんじさんから、ありがとうって言われて涙が止まらなかった。
それと同時に申し訳なさがありました。
4年でありDFリーダーが途中で逃げるって普通あり得ません。
それでも最後まで目をかけてもらってかんじさんには感謝しかないです。
試合が終わってからいろんな人が声をかけに来てくれて、本当に人に恵まれた4年間だったなと感じました。
長くなってきて何を伝えたいか分からなくなってきました。もう終わります。
やっぱり勝負の世界は甘くないしスポーツなんて9割はうまくいかない。
でも上手くいってない時にどんだけ踏ん張れるか、
辛い時に逃げずに立ち向かえるか、
スポーツをやる以上この気持ちの強さが何よりも大切なんだなと引退して改めて実感しました。
どんなにきつくても近くに仲間がいる。
1人で筋トレ行くのがきついなら誰かを誘っていく
とか、そうやってチームで乗り越えれることができる。
これがチームスポーツの良いとこだし底力になるんだと思います。
だから、きつくても1人で溜め込まず、
仲間を頼ってみんなで強くなろう。
最後には良い結果が待ってるから。
偉そうなことを言いましたが、自分のラクロス人生は本当に人に恵まれた4年間でした!
本当にラクロス部にはいってよかったです!
多分見本になる良い先輩になることはできてなかったと思います。自覚してます。
でもみんなのことが大好きでした。
本当にラクロス部に入って良かったです!
来年必ず日本一取ってください。応援行きます。

ちょっとだけ感謝。
晃一郎さん
コーチとしても先輩としもとてもお世話になりました。
ずっとLINEしてましたね。
でも唯一と言っていいほど全てを話せる人でした。ほんとに助けられました。これからもよろしくお願いします!
たくろうさん
大好きです。意外と2人で話すと真面目な話が多かったですね。結構僕にとっては大切な時間でした。
ご飯たくさんいきましょうね。ディズニーも!
マネージャー
沢山支えていただきました。本当にありがとうございました。トレーナーも沢山のありがとうです。
来年以降も一緒に戦おう!
同期
変なやつ多いけどみんななんだかんだ仲良くて良い仲間持ったなって思ってます。
これからもよろしくお願いします!
ファミリー
ボーリングいきますよ
ずみまさと
たくさんのありがとう。及川も頼んだよ
たから
意外と話すこと多かったね。物事自責で捉え過ぎて自分で自分苦しめてるように感じます。
思いっきりプレーすれば大丈夫。上手いから
期待してますよ
じよう
うん。がんばれ。
他にも書きたい人が沢山いましたがこの辺にしときます。
長々と書いてしまいました。
本当に素晴らしいラクロス生活をありがとうございました!
おわり

