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2022

引退ブログ2022 鈴木陽晃#4

こんにちは。ATの鈴木陽晃です。


今年も日体ラクロス部は多くの人に支えられて活動することができました。ありがとうございました。

来年度もよろしくお願いします。



引退ブログ書きます。

とりあえず4年間を振り返っていこうと思います。長いです。



入学当初、大学では新しいスポーツやろうかなーと考えていたところ、修吾さんと昴さんが授業終わったばかりの教室にオラオラ入ってきて新入生を勧誘している姿を見てラクロス部に興味を持ちました。



入部した理由は初心者でも始めやすかったところと代表を目指せるって言葉に惹かれてだと思います。三年前のことなのであまり覚えていません。



サマーで活躍すれば選考会に行けると聞き、はじめは入部理由通り代表選手になりたい一心で練習してました。

毎日クロス持ち帰って、壁あてしてシュー練して人工芝のカーペットでグラボして、僕なりに頑張ったもののサマーが終わってみれば選考会にすら呼ばれず、その一心で練習していた自分には結構ショックで、心折れました。(てるほと名前間違えてんじゃねえかって本気で思ってた。)



本来こういった時に「見返すためにもっと上手くなってやろう!」ってなるのがアスリートなんだろうけど僕は心が弱いので入部当初からの熱が覚めていった気がします。




追い討ちをかけるように、その後新チームが始まって上級生と練習するようになり、すでに心が折れていた僕は上級生のロングにボコボコにされてラクロス嫌いになりました。



そんな感じで練習してた僕がこの年の最初のAB分けで育成枠?でまさかのAチーム入り。育成枠とはいえAチームに入れてもらえたのがすごく嬉しかった反面、そんな気持ちで練習してた自分がAにいていいのかよとか上級生だらけの中で練習するの嫌だなって気持ちもありました。



でもAチームで練習できるならやれるだけやってみよう!と気持ちを入れ直して練習に取り組み始めた矢先、1週間でBチームに落とされました。悔しかった。けど正直上級生だらけの中で練習しなくていいんだっていうほっとした気持ちもあった。こういうところにも僕の心の弱さが出てたと思います。



けどこうしてBチームで練習していく中で康聖さんやあんりょさんとOFするようになり、ラクロスの楽しさを感じるようになりました。特につま恋ではずっと一緒にプレーさせてもらえて結果としてすごく成長した気がします。



そんな中コロナになりました。部活が止まり練習ができなくなったことでぐーたらするかと思いきや、Bチームでラクロスの楽しさに気づいた僕はもともと一人でコソ練するのが好きだったこともあって、壁あてしたり海外のラクロス動画見てすげーってなったり部活が止まる前よりラクロスに使う時間が増えてました。後々奥村さんに「テルは浅はかだけどラクロスの動画見てる」って言われたのはここからきてると思います。どうせならもっと試合展開とか勉強しながら見てれば良かったなって今になって思います。



活動再開、停止を繰り返しながら最終的にBリーグに出場して予選で負け、特別試合を終えて20日体が終わり、すぐに21日体が始まりました。




今までの内容見れば分かる通り下級生の頃の僕はチームのことなんて考えていなかったしこの21日体が始まる時も一個上うまい人ばっかだからなんとなく勝てそうだなーくらいに思ってました。先輩がなんとかしてくれるだろうと思ってた。引退ブログで軽くテツさんに怒られてました。ごめんなさい。




でもそれくらい一個上の人たちはうまくて憧れる人ばっかでした。うまいのはもちろんだけどラクロスが好きで楽しそうにプレーしてて、20日体で一緒にプレーできなかった人たちとも一緒に練習できてすごく楽しかったし、うまくなっていく実感もあった。




この年も最初のAB分けでちゃっかり点とってAチームに入れてもらえた。相変わらず耕陽さん悠大さんに1on1でボコボコにされて萎えてたけど、修吾さんがさりげなくメンタルケアしてくれてたのでなんとか頑張ってた。




でも薄々感じていたけどどうしても自分の実力不足でチームに貢献できていなかった。





試合に出させてもらえる時間も徐々に短くなっていき、最終的に一試合丸々ボックスにいるようになっていた。




そんな中、コロナ関係で自分一人だけ1ヶ月近く自粛することになってしまった。




さっきも書いた通りコソ練好きだから今回も一人で頑張ろうってずっと江戸川で壁あてしてシュー練してダッヂ切ってグラボして、家では浅はかにラクロスの動画見てってしてた。自由に使えるからこそ戻った時にみんなびっくりするくらいうまくなろうって思ってやってたけど、前までとは違ってみんなは部活で練習してる中、自分だけ自粛ってすごく孤独を感じて、絶対部活でやってる奴らの方が上手くなってるよなーとか試合出れてなかったから俺復帰しなくてもチーム困らないよなーとか色々考えてネガってた。結構メンタル弱いんです。




それで実際復帰できるってなった時めちゃくちゃ嬉しかった。やっとみんなとラクロスできるって思ったらワクワクして急に気持ち明るくなってた。意外とそんなことも思うんです。僕は。

予想はしてた通り最初はBチームからでって言われて、すぐ感覚戻して速攻Aチーム上がって活躍しようって思って満を持して復帰。



そしてそのまま一切お声かかることなくこの年はBチームで終わりました。




なんでAあげてくれないのって思いもあったけど、冷静に自分の実力考えたらAで活躍できないどころか、試合に出ることもできないし、ストロングポイントがあるわけでもない。順当にBチームだよなって自覚があったからこそ余計に悔しかった。



俺なんかじゃ一個上の力になれない。チームのためになれないって結構キツかった。



またここでも自分の気持ちの弱さが出ました。同期でAの主力になっている奴もいる中自分はBで何してんだろって思って腐ってた。雨の中練習した次の日は体調不良で休んだりもしました。当時のBチームの人たちごめんなさい。



Bリーグの初戦負けたけどあんま悔しくなかった。それどころか負けて泣いてる人見てそんな本気でやってなかったじゃんとか思ってた。けどそんなこと思ってる自分を客観視した時、負けて悔しさすら感じない奴の方がダサいなって思った。




そんな僕が腐ってた時も一個上の人たちは自分たちのことで大変なはずなのにBチームのことも気にかけてくれた。(しゅーとさんが1on1の練習動画見てアドバイスくれたりね)



特に悠大さんは直接二人で話してくれることもあった。腐ってた当時の僕に刺さった言葉があった。



「Bチームが勝てばその年の日体が強かったって証明になる。」



悠大さんに言われてその通りだなって思った。



Bチームに上手い人がいっぱいいてBリーグで優勝でもすれば、あんな上手い奴らでもAチームに上がれないほど今年の日体は強いのかって思わせることができるかもしれない。直接力にはなれなくても日体の強さを示すことはできるんじゃないかってその言葉を聞いて思いました。



そうなったら尊敬してた一個上の人たちの凄さを自分の力で少しでも伝えられる。

そう思い込んでBリーグ優勝するために頑張ろうって気持ちになった。そう思って練習していれば自ずと来年にもつながってくるとも思った。



そんな中Aチームが二回戦で負けてしまった。この人たちなら勝つだろうってなんとなく考えていたら負けてしまった。あんなに上手くて強くて尊敬していた人たちが負けてしまった。チームが負けたことも悔しかったけど、グラウンドに立てていない、ボックスにすら入れていない自分自身が恥ずかしくて悔しかった。



泣いてる姿を見て言葉が出ませんでした。



こうなったら本当にBチームが勝って日体の強さを示すしかないと思った。それがその時の自分にできる一個上への貢献の仕方だった。



その結果がBリーグ優勝。



いやーー嬉しかった



長いことスポーツやってきたけど大会で優勝するの初めてだったし、最終的にはテツさん、夢生さん、陸生さんとも一緒にグラウンド立ててよかった。



ほんの少しでも21日体の強さを証明できたでしょうか。やっぱこの代の日体強かったんだなて思われてたら本望です。




そんな喜びも束の間。最後の1年がやってきました。


キツかったーーーー


チームが良くなるようにってミーティングしたり、練習メニュー考えたり、人と喋るの苦手なのに後輩と1対1で喋ったり色々なことしました。



ただ色々なこと考えて、色々なことやった結果がリーグ戦全敗。



結局勝てるチーム、強いチームにすることはできなかった。



しかもただ負けるだけでなく、入れ替え戦にまでいくことになってしまった。最後の1ヶ月は本当にキツかった。みんなキツかったと思うけど。これまでの人生で感じたことないプレッシャー感じて食欲沸かなかった。



正直ラクロスまた嫌いになりかけてたけど好き嫌いなんて言ってられる状況じゃないし、日体の30年の歴史がとか知ったこっちゃないけどそう言ってくるOBの圧すごいし。まじで勝たなきゃ死ぬしかないなと思ってた。



でもやっぱりあの1ヶ月の生活を本来ずっとしてなきゃいけなかったんだなって思う。それまでずっとやった気になっていただけ。どこかのタイミングで主将も言ってたけど、逆に言えばやりさえすれば日体は勝てるんだなって思った。



最後の舞台、日本一をかけての試合とは真反対の舞台でした。



余計なことなんて考えてられないプレッシャーの中、糸井はあっさり先制点取られるし、光は1Q途中のFOでファールしたかなんかで涙目だし。



やばいなーって思ってたらポンポン壮太郎が点とって逆転して気づけば試合終わってた。



ほとんど試合中の記憶はないけど、最後の試合はあっけなく終わった。



『観客を魅了するラクロス』



僕はめちゃくちゃ好きでした。理想の舞台とはかけ離れてたけど魅了できてたんでしょうか。



抽象的な日体の良さをそのまま言葉にしたものがこれだと思うのでぜひ引き継いで欲しいとは思ってますが。後輩に任せます。



そんなこんなで引退しました。短かったーなんて思いません。4年間めっちゃ長かったです。そのめっちゃ長い時間ずっと日本一に向けて行動しないとそれは達成できないんだろうなって今になって思います。だいぶ覚悟がいることだよね。



振り返りは終わります。自分の学生ラクロスを振り返って後輩に伝えることがあるとすれば、自分から周りの人にアクションを起こした方が良いってことです。



僕は一人で練習するのが好きで特に下級生の頃はすぐ家帰って家で練習したり、誰もシュー練していない隙を狙ってシュー練して誰かきたら授業なんでーって嘘ついて抜けたりしてました。



練習中も3年生まで周りとコミュニケーションとってなかったし、OBとか社会人が来ても話聞いたりアドバイスもらったりしませんでした。



それすごい無駄なことです。ラクロス界狭いから繋がろうと思えば色んな人と繋がれるだろうし、密に関わることもできると思います。日体は特に社会人や他大の人がかなり来てくれる環境だと思うので上手く使いましょう。今の日体には似たような子がちらほらいるから(板橋とか)、僕はわかっててもできなかったので頑張ってください。



ここからはお世話になった人へ



佐保田さん

ラクロス始めたての時から教えてもらったので、僕のラクロスの根底にあるのは佐保田の教えだと思います。LINEでも言われましたがいつ辞めるかヒヤヒヤさせていたみたいで、すみませんでした。最後まで佐保田さんがいない試合で勝つジンクスはそのままでかなり気にしてたとは思いますが、僕たちの力不足なだけなので気にしないでください。

ありがとうございました。



奥村さん

2年間OFコーチとしてお世話になりました。1年目はあまり関わることができず、2年目も最初の方僕から中々コミュニケーション取れないのを見越してか、たくさん声かけてくれてありがとうございました。奥村さんがプレイングで入れるようになってから一緒にラクロスするの楽しかったです。

一向にうまくならない僕にも根気強く色んなことを教えてくれました。そんだけ気にかけてくれるのに全くうまくいかない自分が情けなく恥ずかしく悔しくて泣きながらプレーしてたこともあります。笑

動画見返したらめっちゃダサかったけど、東大戦の得点は奥村さんが1on1教えてくれたから取れた点です。

ありがとうございました。



家族

まあ直接は絶対言わないのでとりあえずここに書きます。

思い返せば小学生からほとんどスポーツしかしてこなかったけど、ずっと支えてくれてありがとう。多分家族に迷惑かけてやるスポーツはこれで終わりです。

毎朝おにぎり作ってくれてありがとう。雨の日車で送迎してくれてありがとう。朝っぱらから隣の部屋で大音量のアラームかけ続けてすみませんでした。

1年の冬、辞める決意ができてそのための文章も作り終えたところで「私はあなたがスポーツしているところを見るのが好きなんだけどな。」って言われたこと、忘れられませんでした。その後も何度もやめようと思ったけどその言葉のせい(おかげ?)でやめられなかった。呪いの言葉です。

あとリーグ戦全敗して、やっと引退だねって言われた時、入れ替え戦あるからあと1ヶ月続くって言ったら「どうせ負けんのにまだ試合すんの?」て言われたこと一生忘れません。めちゃくちゃムカついたけど、ごもっともすぎて言葉出ませんでした。まあ勝ったけど。



同期

全く価値観も考え方も合わないなって奴いるし、性格ひん曲がってる奴ばっかだったけどありがとうございました。

あと引退したので貸し借りはチャラです。さようなら。



よくみんなになんで笑いながらプレーしてるの?って聞かれたけど、自分でも分かりません。



無意識に笑いながらプレーするくらいにはラクロスが好きでした。



最後まで読んでくれた方ありがとうございました。



終わりです。


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