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2025

'25引退ブログ_#52 武川宜生

まず初めに、日頃より日本体育大学男子ラクロス部へご支援、ご声援頂いている保護者、OBOG、学校関係者の皆様へこの場を借りて感謝申し上げます。

今後とも変わらぬご支援、ご声援の程よろしくお願い致します。






実は陰キャでおなじみの

4年#52 武川 宜生です。







もう引退ブログですか、、、





長かったようで、ほんとあっという間でした。






明日は何時から練習かな?とか、今週の部活の予定は?

とか毎日のようにやってきたことがまだ抜けず、違和感を覚えています笑




このブログでは、僕のラクロス人生を振り返りながら想いを伝えられたらなと思います。

拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。











僕は大学では部活に入らず、陸上のコーチをしながら大学生活を過ごそうかなとずっと考えていました。


そんな中、心を深く傷つけられる出来事がおこり、

なかなか立ち直れず、塞ぎ込んでしまった時期がありました。

その時期は、まさに絶望的で声を出すことすらしんどくて、普段の僕からしたら考えられないような状態でした、、、



そんなこんなで気がついたら6月も終わろうとしていて、毎日を乗り切るので精一杯になっていました。




そんな時、僕をもう一度奮い立たせてくれたのは母でした。




小さい頃からたくさんのスポーツに触れさせてくれて、

その度応援してくれていた母にはそれだけでも感謝しかありませんが、

「もっかいがんばろう」「強くなって見返そう!」

と僕に言ってくれました。




その時、

僕は涙を流しながらも、もっかい立ち上がろうと決意したのを今でもよく覚えています。






それから、新しい部活でちょうど高校の担任の先生が日体大のラクロス部でもあったので、ラクロス部に入って自分を変えようと思ったのがきっかけです。




長くなってしまったのですが、これが僕がラクロス部に入ったきっかけになります。







こうして7月頃から僕のラクロス人生は始まりました。









最初の1年生では、

とにかく頑張る。気持ちを立て直す。

その一心で、正直ラクロスをしていた記憶がほぼ無いです、、





気がつけば、2年生になっていて、インパクトと合流してから少しずつラクロスというスポーツを知っていきました。

両手でパスを投げられる楽しさや、誰よりも早くボールを拾うことが面白くて、気がつけばよく自主練をするようになっていました。





当時、経験者で早く練習参加していた臼井と仲が良く、一緒にたくさん練習をしましたね!



緊張に弱い性格でありながら、必死に戦う姿に僕はいつも力を貰っていました。

U20から帰ってきた臼井はいつの間にかたくましくなっていて、チームがピンチの時には何かやってくれるのではないかといつもワクワクしていました。

4年生では、もっと活躍出来る男に進化できると僕は確信しているので頑張ってください!






話は戻りますが、2年生は初めて悔しさを感じた年でもあります。


ただただ、実力がなくてBリーグの主力になりきれず、試合に出れないこともありました。

そして、親指を骨折してしまい、そのままシーズンも終わってしまったので、やりきれない思いでいっぱいでした。


ただ、人生で初めて手術室に入った時はとても興奮しました!すみません、、









そんな悔しい気持ちをかかえて始まった3年生は、本気でラクロスに向き合おうともがく1年間でした。


とはいえ、1つも納得できるものはありませんでしたが、着実に実力をつけていった年という感じで、とにかく必死に食らいついていましたね、、









そう必死に食らいつこうと思えたのは、


健志郎さんとの出会いでした。









健志郎さんはインパクトのオフェンスコーチでもありつつ、僕がトップで活躍できるよう常に声をかけてくださった事をよく覚えています。



時に厳しく、

活躍出来た瞬間には人の倍以上に喜んで褒めてくれる。



そんな健志郎さんがいてくれたから僕は頑張れました。

ありがとうございました。




最後まで僕に声をかけていただいていたのにも関わらず期待に添えず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんなやるせなさで、いつの間にか、声をかけられずに終わってしまい、本当に迷惑しかかけてないですね、、すみません。










それともう1人。

木村にはほんとに感謝をしてます。

自分と似たようなプレースタイルをもっていて、切磋琢磨し合いながら、助け合った日々は本当に宝物で、いつも隣にはきむがいたね!

「きむが頑張るんだったらやるか」と口癖のように言いながらも、二人でたくさんの試練を乗り越えてきたね!


きむは落ち着いてやれば、最強な選手です!

きっとなんでも出来るし、怖いものなんてない!


だから、1つのミスや上手くいかないことがあっても平常心で失敗を恐れずに、果敢に立ち向かってな!


きむにとって、お手本のような先輩にはなれなかったかもしれないけれど、僕の夢はきむが叶えてくれると信じているので応援しています!








その他にも色んな人との繋がりが3年生ではありました。環境もTOPとimpactの両方を行き来していて、ある意味パッとしない選手だったのかも知れません。








そして、4年生。


相変わらずインパクトでスタートをきりました。

もちろん悔しさもありましたが、ただしっかりと納得はしていました。




もしかしたら、このまま終わってしまうかもしれないという事も頭を過りましたが、そんなことは気にせず、とにかくインパクトとして精一杯努力をし、なんならTOPを超えるぐらいの組織に塗り替えてやろうとすら思っていました。




今思えば、昔の自分では考えられないほど、強い人間になったんだなと少し懐かしくも思います。




そうやって、ただひたすら頑張っていたらいつの間にかTOPの試合に出ていました。


短い時間ではありましたが、

インパクトのみんなには少しでも希望を与えられたでしょうか?




そんな栄光もつかの間で、教育実習を挟んで帰ってきたら、全くついていけなくなっていていて、

そこからどうすることも出来ず、立て直すことができなくなっていました。


そんなのは言い訳ですが、自分の失敗要因としては、

僕は焦ってやっても全部どっちつかずになってしまうので、要点を絞って着実に自信をつけなければならなかった。

それと、自分のことをあまり人に話すことが出来ない性格なので、とことん人とコミュニケーションをとることが大切だったなと今は反省しています。





みなさんにも、苦手なこと難しいことがあるとは思いますが、まずは向き合い、次に繋げられるよう行動してみてください。





そうこうしているうちになかなか結果を出せず、Bリーグも終わってしまい、

今後の事を考えていた時、リーグ戦の立教戦前に駿太さんと4年生で話す時間がありました。


そこで、けいたと未来と「もう1度ラストチャンスをつかみにいこう」と練習に励みましたね。



そんな中、プレーも良くはなっていったのですが、どうにも足が思うように動かなくなっていきました。

それでも、たくさんの人が応援してくれていたり、「また一緒にプレーしましょう」と言ってくれる人が自分にはこんなにいるのかと思うと、無理にでも頑張ろうと耐えながらも頑張れました。




特にりんさんには、本当に感謝をしています。

逐一僕のことを気にしてくれていて、いつも背中をおしてくれました。

ここまで、誰かに寄り添える人はいるのかと思うぐらい親身になって接していただき、僕もりんさんのような人になれるよう今後行動していきたいと思います。







しかし、もうどうやっても走れないというところまできた時、これからのことについて本気で向き合い始めました。






そこには本当に色んな葛藤がありました。


一橋戦がラストチャンスと言われた中で、

怪我を治している余裕はないし、パフォーマンスは悪くなる一方。



でも、やっぱり諦めたくは無い。



ここで諦めたら、逃げたとか弱いなとか、後悔するんじゃないかとか色んな考えが頭を過りました。


そして何より応援してくれている母をもう試合には呼ぶことは出来なくなるなと。



それでも、答えは明確でした。



スピードが持ち味の僕から、

そのスピードが無くなるというのはもう活躍することは難しいのだと。

そして、正直もう一度自分を奮い立たせるだけの力が自分にはもうないと悟った時、覚悟を決めました。





母に、しっかりと時間をとってもらい、

今までの想いや感謝を伝えつつも、

「もう、試合には呼べない。ごめんね」と伝えた時、

ガッカリされるかなとも思いましたが、「お疲れ様」と言って貰えました。


その時は、申し訳なさとやり切ったなという思いが入り交じっていて、唐突に込み上げてくるものがありました。



その後、急ではありましたがてらとも電話で話すことになりました。

やっぱり寺内は同期思いで、「頑張ろう」と言ってくれるので、僕の中では答えが出ているのに伝えづらくその場では本当の思いを伝えることができませんでした。


そこで、もう一度自分の思いを整理しつつも、

どこか不安にかられる中、思い切って駿太さんにお話することにしました。




駿太さん。

あの時は時間を作っていただきありがとうございました。駿太さんとお話をしていなかったら今の僕はここまで前向きに生活出来ていないと思っています。

確かに、4年生で実力が伴わず、諦めるなんてダサいだろと思っている人もいると思います。

しかし、TOPで活躍できなかった人が失敗だとかそういうことではなく、こういう経験をどう次に活かしていくかが大切だとおっしゃっていただき、僕は大いに救われました。駿太さんには、ラクロスの事だけでなく、いち人間として、社会人としての考え方をたくさん学ばせていただきました。本当にありがとうございました。










こうして、僕は少し早く前線から退くことにはなりましたが、その後は「インパクトの選手を来年のリーグ戦で必ず活躍させる」という目標の元、一緒に練習に励みました。



インパクトのみんなは、こんな僕からのアドバイスを素直に聞いてくれて、本当に感謝してます。


しんのは1on1の武器が本当に増えたね!肘を使ったプレーや薄い角度でシュートを決めきれる技術を練習して着実に上達したね!来年楽しみにしてるよ!


あっちゃんは、怪我が多い中でも人一倍知識や技術を吸収しようといつも必死に努力する姿がとても誇らしかった。持ち前のがたいと瞬発力は必ず武器になるし、最近はスウィムを覚えプレーの幅も広がってきたね!どんどん上手くなれるから頑張って!


けいまは、色んなショットに磨きがかかってきて、入るシュートが増えたね!苦手な右手にも慣れてきていて、1on1にも自信がついてきたと思う!来年は主力として活躍していることを願っています。


なおきは、今怪我をしている中でも復帰に向けて努力しているね。なかなか試合に出れない時期が続いた中でもめげずに、自分と向き合う姿勢は素晴らしかった!ここからまた頑張ろうな!











そして、みらい。

ほんとにみらいには助けられた。

辛い時も、大変な時も、楽しい時も、嬉しい時もいつもそばにはみらいがいて、何を言われても努力し続けられるそんな姿を見て、また自分も頑張ろうと前向きになれました。なんだかんだずっと一緒に過ごしてきたな笑

同期なりに厳しいこともたくさん言ったと思うけど、最後まで一緒に頑張ってくれてありがとう!





まぁここまでつらつらと長話に耳を傾けていただき、

ありがとうございました。



正直悔いの残るラクロス人生ではありましたが、

この悔しさを残りの人生でどう正解にしていくかを考え、また1歩ずつ成長していきたいと思います。




最後に僕をここまで支えてくださった全ての人に感謝の言葉を言わせてください。




本当に4年間ありがとうございました。





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